『住友職員録』( [住友編] 住友 1921.8) p.9に「建築課 技師 二等 光安梶之助」とあるが、プロフィールについては記載がない。
事前調査事項より、『写真で見るプール学院の110年』(資料室委員会・記念誌編集委員会編集 プール学院 1990.6) を調査。
p.53「… 光安梶之助氏は敬虔なクリスチャンであったばかりかプール女学校に大変ゆかりのある人であった。…氏の姉、婦人、息女がプール女学校出身者であり、氏自身は父兄会の理事長をつとめたという人である。」
p.50-51 にプール女学校勝山校舎定礎式の集合写真があり、光安梶之助も写っている。
住友本店臨時建築部が起源である日建設計についての資料、
『北浜五丁目十三番地まで 日建設計の系譜』(小西隆夫執筆 創元社 1991)
p.184-187 光安梶之助「主体構造について」(昭和5年)がある。顔写真と「明治31年7月 工手学校建築科卒 明治34年7月 住友本店臨時建築部技手」の記載あり。「工手学校」は工学院大学の前身。
p.241 「…大阪倶楽部は、野口孫市と長谷部鋭吉の設計、監督は光安梶之助が担当して大正四年一月に竣工した。」とある。
昭和8年に株式会社長谷部・竹腰建築事務所が発足した際の名簿(p.246)には光安梶之助の名前はない。
工手学校建築科卒ということから、次の資料を調査したが、光安梶之助についての記載は見つからなかった。
『工学院大学学園百二十五年史 工手学校から受け継ぐ実学教育の伝統』(工学院大学学園百二十五年史編纂委員会編 中央公論新社 2012.9)
『工手学校-日本の近代建築を支えた建築家の系譜-』(工学院大学 NICHE(工学院大学建築学部同窓会誌編集部) 工学院大学建築学部同窓会 2012.8 )
『工学院大学学園75年史』(工学院大学編集 工学院大学 1964)
『工学院大学学園百年史』(工学院大学学園百年史編纂委員会編集 工学院大学 1993)
事前調査事項:インターネットの情報で、「住友ビルディングができるまで」(http://www.uma.vc/hasebe/hyoden/chap4/chap4.html)に名前が出ている。中之島図書館の増築にも関わっている。
また、「プール学院報」第49号に、「1917年 川口から勝山に校舎を移転した際の新しい校舎の設計・建築をしたのが光安梶之助」とあり、1941年没と出ている。(http://www.poole.jp/pdf/vol49.pdf)
参考資料:住友職員録(ページ:9),
参考資料:写真で見るプール学院の110年(ページ:50-51,53),
参考資料:北浜五丁目十三番地まで 日建設計の系譜(ページ:184-187,241),
参考資料:工学院大学学園百二十五年史 工手学校から受け継ぐ実学教育の伝統,
参考資料:工手学校-日本の近代建築を支えた建築家の系譜-,
参考資料:工学院大学学園75年史,
参考資料:工学院大学学園百年史,
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