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明治時代(明治28年以降)で、尖閣諸島の魚釣島が掲載されている資料が見たい。 「大日本管轄分地図 三都市四十三県三府一庁 日本地図選集」(日本地図選集刊行委員会 人文社編集部編 人文社 1968) 明治28年刊の復刻版資料には記載がなかった。(埼玉県立久喜図書館)

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所蔵資料には、明治時代(明治28年以降)の資料で、尖閣諸島の魚釣島が掲載されている資料は見つからなかった。 『尖閣諸島・琉球・中国』(三和書籍 2002)で紹介されている資料のうち、《国会図デジタルライブラリー》で閲覧可能な明治39年(1906年)の地図や国会図の所蔵地図情報を紹介した。 明治28年以降の地図の情報があった資料 『尖閣諸島・琉球・中国』(三和書籍 2002)  p78に地図の一覧あり。  巻末I-II「尖閣諸島(琉球を含む)資料・文献」中に地図一覧あり。  該当年近年の地図は、沖縄県「沖縄県管内全図」(1906)、水谷延次「大日本全図」(1895)、農務省地質調査所「日本帝國全図」(1892)。  「沖縄県管内全図」は《国会図デジタルライブラリー》で閲覧可。  「沖縄県管内全図」(沖縄県 金港堂書籍 1906) の8コマ目に「魚釣島」あり。(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1089186 国立国会図書館  2012/10/31最終確認)  「大日本全図」(水谷延次編 文魁堂[ほか] 1895)は国会図に所蔵あり。デジタル化資料は、館内のみ公開。  「日本帝國全圖 訂正新刊」(地質調査所 (農商務省) 農商務省地質調査所 1892)は国会図に所蔵あり。 明治28年以降の明治・大正期の地図で、魚釣島の記載のなかった資料 『大日本分県地図 明治十四年・大正五年 復刻 地図でみる県の移り変り 2』(昭和礼文社 1990)  「大正5年 大日本分縣地図」の48ページに「沖縄県全圖」「沖縄県総図」(明治42年2月2日発行 大正4年7月15日第十版)あり。「魚釣島」「尖閣諸島」の記載なし。  「明治14年 大日本府縣管轄図」の中に「沖縄縣圖」あり。尖閣諸島の場所に、島のようなものが描かれているが島名の記載なし。 『明治中期分県地図 新聞『日本』附録』(高木宏治編集・解題 清水靖夫監修 ゆまに書房 20009)  p194-195「沖縄縣管内全圖」(明治35年9月10日「日本」第4700号付録)あり。「魚釣島」「尖閣諸島」の記載なし。  凡例に「本書は、新聞『日本』の付録として、1901(明治34)年1月29日から1903(明治36)年12月27日まで発行された各道府県及び台湾総督府管内の地図48点を裏面の重要統計を含めて複製集成するものである。」とあり。 『大日本管轄分地図 三都市四十三県三府一庁 日本地図選集』(日本地図選集刊行委員会 人文社編集部編 人文社 1968)  「大日本管轄分地圖 沖縄縣管内全圖」(明治28年5月19日発行)あり。「魚釣島」「尖閣諸島」の記載なし。 『明治大正日本国勢沿革資料総覧 1-4』(柏書房 1983)  4巻に「市町村制最近帝国地図」(明治31年、林書房蔵)あり。p174-175「大日本府縣全圖」及びp200-201「南西諸島」に「魚釣島」「尖閣諸島」の記載なし。 昭和期の地図で、魚釣島の記載のあった資料 『日本図誌大系 九州 2』(山口恵一郎〔ほか〕編 朝倉書店 1977)  p418-419〈尖閣諸島〉の項あり。「図1 魚釣島(昭和5測)」あり。  解説に「明治28年(1895)1月14日沖縄県に編入。沖縄師範の黒岩教諭の踏査により明治33年尖閣と命名された。昭和20年(1945)第二次大戦終結とともに米軍政府の管理下となり、同27年(1952)民政府下の琉球政府の管轄となった。同47年(1972)5月15日日本に復帰し、現在行政的には石垣市登野城に所属する。」とあり。 『大日本分県地図併地名総攬 昭和12年度』(国際地学協会編 国際地学協会 1937)  「沖縄県全圖」あり。「管内一覧」の地図上に「尖閣列島」及び「魚釣島」あり。昭和14年版にも同様の地図あり。 回答プロセス:尖閣諸島について調査 (図書) 『尖閣列島』(緑間栄著 ひるぎ社1984)  p94-95明治期の関係地図の短い解説あり。  水谷延次「大日本全図」(1895)、農務省地質調査所「日本帝國全図」(1892)などは「尖閣列島の名称が付けられ、記載されている。」「これらの一連の地図は内務省版権免許を得て刊行されたものであり、すでに日本が尖閣列島に対して、領有意思を持ち始めていたことを示すものである。」とあり。 『尖閣列島と竹島 中国・韓国との領土問題』(上地竜典著 教育社 1978)  p61に明治34年沖縄県の土地整理事務局が公式測量を行い、各島別の縮尺地図を作成、大正14年日本水路部が実地測量とあり。 (雑誌) 《リサーチナビ》(http://rnavi.ndl.go.jp/rnavi/ 国立国会図書館 2012/10/31最終確認) 〈明治 & 尖閣〉をキーワードに検索   平岡 昭利著「明治期における尖閣諸島への日本人の進出と古賀辰四郎」(『人文地理 57-5』p45-60 人文地理学会 2005.10)  〈はじめに〉に、「尖閣諸島は、沖縄県八重山諸島の北方約170kmに散在する無人島で、古くからその存在は知られていたが、日本人の領有行動は明治期まで見られなかった。1885(明治18)年に沖縄県が尖閣諸島を調査し、その後多くの日本人が進出、明治政府は1896(明治29)年になって沖縄県八重山郡に編入した。」とあり。  「第1表 尖閣諸島関係年表」、「第6図 1907年頃の魚釣島の古賀村」あり。 該当の記述がなかった資料 『日本地図選集 7 江戸 明治所処湊港・舟船絵図集 並 改正日本船路細見記』(人文社 1977)  これに収録の「大日本全図」は明治7年刊のため該当しない。 『大日本全図復原 (明治10年116万分ノ1) 日本地図選集』(人文社 1967)  これに収録の「大日本全図」は明治10年刊なので該当しない。 『東洋読史地図』(箭内亘編 富山房 1925)  前出の資料、『尖閣諸島・琉球・中国』p78の地図一覧によれば、1879(明治12年)の「大日本府縣管轄圖」に「花瓶島」があると記述があるが、この資料では確認できない。 『明治大正日本国勢沿革資料総覧 府県郡市町村変遷資料集成 2期 1-5』(柏書房 1986) 『「尖閣」列島 釣魚諸島の史的解明』(井上清著 現代評論社 1972)  『日米中トライアングル』(岩波書店 2010) 『知っていますか、日本の島』(自由国民社 2002) 『竹島=独島問題入門』(新幹社 2008) 『日本の領土』(中央公論新社 2002) 『日本の領土問題』(自由国民社 2002) 『沖縄危機と日本有事 普天間基地移設・尖閣問題・中国の脅威』(惠隆之介著 明成社 2010) 参考資料:『尖閣諸島・琉球・中国』(三和書籍 2002),

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