八木郷村の地名の由来について、『新編武蔵風土記稿』によると下総国葛飾郡にも関係する地名と思われ、千葉県の地名を調査したところ下記の資料に記述があった。
『流山市史 民俗編』(流山市 1990)
p3「草分け伝承」熊野神社にまつわる八木発祥伝説の記述あり。
詳細は回答プロセスを参照。
回答プロセス:埼玉県の地名を調査する。
『埼玉県地名誌 名義の研究』(北辰図書 1977)
p501 (旧)八木郷村(やぎさと)
「明治二十二年(以下略)の十二村を合併して新たに八木郷村を設置した。新村名はいにしえこの地方を八木郷村と称したためである。」
『埼玉県市町村合併史 下』(埼玉県 1962)
p1157-1158 八木郷村
「(略)しかし新村名は在時当地方を八木郷と称していたことにちなんでその名称を採って「八木郷村」と命名し(以下略)」
『三郷市史 7 通史編2』(三郷市 1977)
p135 「新町村編成由書」あり
八木郷村 新村名撰定の事由
「村ノ広袤相匹シ参互折衷シ難キニヨリ八木郷ノ名ヲ採リテ之ヲ定ム」
『さいたまの地名 埼玉ふるさとシリーズ 4』(埼玉県県政情報資料室 1987)
p205 米の字を分解して「八木」へ
「八木という字をタテに書くと米という字になる。この地は米をつくる産地であるということから米の郷となり、八木郷と呼ばれるようになったと思われる。千葉県流山市の八木の郷に昔は属していたためという説もある。」とあるが、典拠資料が不明。
『武蔵』(有峰書店 1970)
和名抄不載の郷として記述あり。
p79 「八木郷」があるが、由来についての記述なし。
『新編武蔵風土記稿 第4期1』(雄山閣 1996)
p377 八木 「下総国葛飾郡に本村ありて、当国へ波及せしなり合村四十四」
『武蔵国郡村誌 15』(埼玉県立図書館 1995)
p271 下段 「八木郷は七十二村に係る」
千葉県の地名を調査する。
『新編武蔵風土記稿』(前掲資料)によると下総国葛飾郡にも関係する地名のため、千葉県の地名を調査した。
『日本歴史地名大系12 千葉県の地名』(平凡社 1996)
p272 「八木郷」
現在の流山市域南部一帯を郷域とした中世の郷。
『角川日本地名大辞典12 千葉県』(角川書店 1984)
p853 八木(流山市)
矢木とも書いた。江戸川中流左岸に位置する。
〈中世〉八木郷 鎌倉期から見える郷名。下総国のうち。
『流山市史 民俗編』(流山市 1990)
序説「流山市の民俗概説 2 歴史的背景(1)古代・中世」
八木郷の市域について記載あり。
「八木郷の範囲については
①旧流山町及び八木村にあたる地域とする説(『大日本地名辞書』)
②現在の流山市全域に相当するという説(『角川日本地名大辞典』)
③旧流山の全部、八木村、小金町、馬橋村、新川村等の一部に渡る地域とする説(『東葛飾郡誌』)がある」
p3「草分け伝承」 熊野神社にまつわる八木発祥伝説の記述あり。
下記のウェブサイト《ローカルなおはなし[流山版]》と同内容。
インターネットの調査
《Google》を〈八木郷〉で検索すると下記のウェブサイトに関連の記述があった。
《流山散策日記》(個人のブログ)
流山市の熊野神社の写真が掲載されており、写真には「中世、八木郷の地名発祥伝説がある神社」と書かれた案内板が写っている。
《ローカルなおはなし[流山版]》(個人のウェブサイト)
「八木の椎の木」の民話があり、村名の由来あり。
『流山市史 民俗編』(上掲資料)と同内容。
参考資料:『流山市史 民俗編』(流山市 1990),
参考資料:『埼玉県地名誌 名義の研究』(北辰図書 1977),
参考資料:『埼玉県市町村合併史 下』(埼玉県 1962),
参考資料:『新編武蔵風土記稿 第4期1』(雄山閣 1996),
参考資料:『日本歴史地名大系12 千葉県の地名』(平凡社 1996),
参考資料:『角川日本地名大辞典12 千葉県』(角川書店 1984),
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