『埼玉県行政史 2』や『埼玉県議会史 5』に「師範学校寄宿舎の建物を利用する」との記述と、『埼玉県職員録』や埼玉県立文書館所蔵の行政文書「本県健康相談所建設ノタメノ県有地」(昭和8年2月27日決裁)に埼玉県庁構内と思われる記載があったが、実際に建てられた住所についての確実な情報は見つからなかった。
詳細は回答プロセス参照。
回答プロセス:埼玉県史関係資料の調査
『埼玉県行政史 2』(埼玉県 1990)
p575-585「結核予防の諸対策」
「浦和町の師範学校寄宿舎の建物を利用して健康相談所を設置することとし、」とあり。
『埼玉県議会史 5』(埼玉県議会 1964)
第6章 昭和7年
p136 「衛生諸費 結核予防施設費」
p197 「第九款 衛生諸費」
「結核相談所は浦和町に設置する予定で、その建物も師範学校の寄宿舎であったものを利用したい、(以下略)」(参与員(副見書記官)の答弁)とあり。
『目で見る浦和の100年』(郷土出版社 2000)
p59「埼玉県健康相談所(昭和9年)」 『埼玉県写真帖』と同じ写真
「市民の健康相談所として開設された。昭和5年には町長により委託された町医が置かれ、伝染病などの疫病検診などを行った。」とあり。
『埼玉県職員録』の調査
下記の職員録には「県庁構内」とあり。
『埼玉県職員録 昭和11年7月1日現在』(埼玉県総務部人事課 1936)
p53「埼玉県健康相談所」浦和市110 電(庁内90)
『埼玉県職員録 昭和12年6月1日現在』(埼玉県総務部人事課 1937)
p204「埼玉県健康相談所」県庁構内 電(庁内90)
『埼玉県職員録 昭和17年11月1日現在』(埼玉県知事官房人事課 1942)
p112「埼玉県健康相談所」県庁構内 電(庁内116)
師範学校寄宿舎についての調査
第一と第ニ寄宿舎があり、第二寄宿舎は昭和7年に廃止されたことがわかったが、「埼玉県健康相談所」との関連は見つからなかった。
『埼玉県教育史 5』(埼玉県教育委員会 1972)
p495「大正7年当時の男子宿舎は、本校内にある第一寄宿舎と旧県立医学校付属病院跡の第二寄宿舎に分かれ、」
p496「第二寄宿舎は昭和七年八月末をもって廃止され、」
『百年史』(埼玉大学教育学部百年史編集委員会編 百年史刊行会(埼玉大学教育学部内)1976)
p366 上記と同内容の記述あり。
『埼玉県医学校と日習堂蘭学塾 蘭医坪井信道と坪井為春』(浦和市尾間木史蹟保存会 1971)
p149 「埼玉県医学校の建物は、県立病院となり、私の知る範囲でも埼玉県男子師範学校寄宿舎分室となり、昭和八年(1933年)に県のサービス事業としてスタートした埼玉共済会の社会館となり(以下略)」
『埼玉県行政史 2』(埼玉県 1990)
埼玉師範学校第二寄宿舎を借受けて開設された「埼玉社会館」の写真があるが、「埼玉県健康相談所」の写真と異なる。
p562 「昭和八年の七月に県と埼玉共済会が合弁で設立した埼玉社会館である。同館は浦和町(現・市)岸町の埼玉県師範学校第二寄宿舎を借受けて開設したもので(以下略)」
『浦和市史 通史編3』(浦和市 1990)
付録「最近調査浦和町明細全図(大正三年)」
「埼玉県師範学校」「師範学校第ニ寄宿舎」あり。「埼玉県健康相談所」なし。
《埼玉県立文書館収蔵資料検索システム》を〈健康相談所〉で検索し、下記を調査したが住所なし。
『埼玉県報 第554号』
「告示第417号 健康相談所規程 昭和7年7月29日」
住所は「浦和市」のみ
『埼玉県報 第906号』
「告示第7号 健康相談所規程中改正ノ件 昭和11年1月7日」
『埼玉県報 号外』
「告示第600号 昭和7年7月告示第417号健康相談所規程廃止ノ件 昭和19年9月30日」
文書番号:昭2634 「県健康相談所建設ノ為県有土地使用承認ノ件」昭和8年2月27日
(http://www.pref.saitama.lg.jp/soshiki/s28/ 埼玉県立文書館 2012/10/30最終確認)
また、埼玉県立文書館所蔵行政文書の調査過程で「本県健康相談所建設ノタメノ県有地」(昭和8年2月27日決裁)があり、住所の記載はないが、埼玉県庁の近くと思われる附図があった。
「本県健康相談所建設ノタメノ県有地」(昭和8年2月27日決裁)
文書番号:昭2634 部名:庶務部 類名:県税 財産 報告 雑款 簿冊年代:昭和8年
簡易保険健康相談所について
『埼玉評論 6(4)』(埼玉評論社 1938年4月)
p26「簡易保険健康相談所が浦和市岸町3-1に建築され事務開始されたのが、一昨年の春のことであった(以下略)」とあるが、建築の時期(昭和8年)が合わないので「埼玉県健康相談所」とは違うものと思われる。
『埼玉の公衆衛生史 1』(埼玉県公衆衛生史編集委員会 1978)
p114「浦和保健所」についての記述のみ。
「当保健所は、浦和市高砂町にあった元逓信省簡易健康相談所を昭和17年10月1日に浦和保健所として開設したもので(中略)昭和22年保健所法の改正に伴ない、機構が拡充されたため、浦和市岸町にあった旧社会会館を改築して庁舎を移転し、(以下略)」とあり。
その他調査済み資料は以下のとおり。
『温故知新 埼玉県保健所行政の変遷』(小池宗憲 1995)
p3「県立健康相談所(昭和7年7月29日告示)が設置されていた」とあるが、住所なし。
p19上記の告示が掲載されているが、住所なし。
『浦和市議会史 上』(浦和市議会 1960)
p823「昭和7年度浦和町歳入歳出追加更正予算 第9回」
p833「昭和8年度浦和町歳入歳出予算」
「埼玉県健康相談所建築費寄附」とあるが、住所なし。
付図「大浦和市全地図 昭和9年版」
付図「埼玉県浦和耕地整理組合確定図 昭和9年版」
どちらの地図にも記載なし。
『埼玉県職員録 昭和9年3月1日現在』(埼玉県知事官房 1934)
『埼玉県職員録 昭和9年8月1日現在』(埼玉県知事官房 1934)
『埼玉県職員録 昭和10年3月1日現在』(埼玉県知事官房 1935)
『埼玉県職員録 昭和10年8月1日現在』(埼玉県知事官房 1935)
『埼玉県行政組織変遷表 明治4年-昭和20年』
『施設経営概要 昭和13年1月』(埼玉県師範学校 1938)
『県南浦和川口総覧 』(三浦晴華 1937)
『埼玉県浦和耕地整理組合確定図』(浦和耕地整理組合 1934)
『埼玉県医師会史 第一部戦前編』(埼玉県医師会 1967)
p196「浦和の現在の保健所の前に社会館というのがあった」とあるが、「健康相談所」についての記述なし。
『大正・昭和史料目録』(浦和市 1982)
p217-222「衛生」、p232-236「社会事業、社会福祉」に該当の記述なし。
オンラインデータベース《ヨミダス歴史館》読売新聞の昭和8年頃の記事を調査したが、該当なし。
事前調査事項:「埼玉県写真帖(埼玉県立図書館復刻叢書21)」
参考資料:『埼玉県行政史 2』(埼玉県 1990),
参考資料:『埼玉県議会史 5』(埼玉県議会 1964),
参考資料:『埼玉県職員録 昭和11年7月1日現在』(埼玉県総務部人事課 1936),
参考資料:『埼玉県職員録 昭和12年6月1日現在』(埼玉県総務部人事課 1937),
参考資料:『埼玉県職員録 昭和17年11月1日現在』(埼玉県知事官房人事課 1942),
参考資料:『埼玉県教育史 5』(埼玉県教育委員会 1972),
参考資料:『百年史』(埼玉大学教育学部百年史編集委員会編 百年史刊行会(埼玉大学教育学部内)1976),
参考資料:『埼玉県医学校と日習堂蘭学塾 蘭医坪井信道と坪井為春』(浦和市尾間木史蹟保存会 1971),
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