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団鬼六の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)

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『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「だん・おにろく」で、略歴は「1931・4・16(戸籍上は、9・1)~。小説家。脚本家志望であった父信行と元女優の母幸枝の長男として、彦根市斧端に生まれる。本名黒岩幸彦。祖母と義理の祖父は映画館「金城館」を経営しており、両親が駆け落ちした後、祖父母と同居することとなる。(中略)映画館を家業とする家庭で育ったことが後年の団の小説世界に潜在的に影響を与えたことは確かなようであり、この意味で、彦根の街は団の小説の故郷であるといえよう。44年に大阪に移住。55年関西学院大学法学部卒業後、上京。57年12月黒岩松次郎の筆名で執筆した「親子丼」がオール読物新人杯に入選する。翌58年11月『宿命の壁』(五月書房)を出版。同年相場師を素材とした『大穴』(12月、五月書房)を刊行し、松竹で映画化されるも、酒場経営などで失敗。中学校教員をしていた63年より、団鬼六の筆名で「奇譚クラブ」に本格的に「花と蛇」(61年9月~64年9月、続65年1月~71年9月)を連載、SM作家の第一人者となる。69年に映画製作会社「鬼プロ」を設立(83年まで)、小説を執筆しつつ成人映画製作にたずさわる。89年に断筆宣言し、雑誌「将棋ジャーナル」を主催するも、94年廃刊となる。95年2月『真剣師 小池重明』(イーストプレス社)を刊行。将棋界の異端児を描いたこの作品は、その小説世界に新たな深みを与えた。(後略)(西尾宣明)」とあります。なお、団鬼六は2011年5月6日に死去しました。 参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.206, 参考資料: 2 作家・小説家人名事典 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2002年 R-9102-ニ, 参考資料: 3 人物レファレンス事典 文芸篇 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2010年 R-9103-ニ, 参考資料: 4 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11, 参考資料: 5 現代日本人名録 2002 3 そ-ひれ 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2002年 R-2810-3,

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