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増田篤夫の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)

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『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「ますだ・あつお」で、略歴は「1891・4・9~1936・2・26。小説家、評論家。鉄道局に勤務した父の任地犬上郡彦根町(現彦根市)に生まれたが、父の郷里神戸で育つ。1914年早稲田大学英文科を中退。生来の病弱に苦しみ、将来に不安をかかえる青年期を過ごした。戯曲「恋人譲渡の件」(13年2月)や短編「風」(16年8月)には、そのような時期に彼の元を去った女性の恋愛心理が描かれている。その頃からフランス文学に関心を抱くようになり、フランス語の習得に努めた。また、評論に力を注ぎ、「解放」に、「有島生馬論」(17年8月)、「有馬武郎論」(同年10月)、「福士幸次郎論」(20年9月)などの作家論を相次いで発表した。「有島武郎論」では「宣言」について「氏は生命を捉へんと焦慮して生理を?んだ」と評し、「カインの末裔」については「読者は努力と緊張とを読むことができるだけで、小説を読むことができない」と論じた。こうした批判に対して有島は強い関心を示し、「増田篤夫といふ人は「解放」誌上で私の芸術に対し非難の声を挙げ始めました」(浅井三井あて書簡)と受け止めることになった。増田は「藝術に於いて、よろこび、悲しみ、苦しみ、嘆きといふやうな一切の人間的感情と光景とが人を打つのは、その表現がハアモニアスだからである。」と論じている。彼の藝術観、文学観には、自らなる調和(ハアモニイ)こそが神髄だとする美意識があった。22年肺疾患が悪化して喀血、一時重体に陥ったがどうにか持ち直した。その前後を通して、かつて親交のあった三富朽葉の全集編纂に力を尽くす。(中略)増田はその作品と論文をすべて収めた大冊『三富朽葉詩集』(26年10月、第一書房)を編纂し、伝記「三富朽葉の生ひたち」を(33年3月)を執筆した。(内田満)」とあります。 参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.328-329, 参考資料: 2 人物レファレンス事典 文芸篇 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2010年 R-9103-ニ, 参考資料: 3 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11, 参考資料: 4 作家・小説家人名事典 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2002年 R-9102-ニ,

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