『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「むらき・さきお」で、略歴は「1920・月日未詳~。俳人。大津市に生まれる。1938年、山口草堂(「南風」主宰)に俳句の指導を受ける。43年召集を受け舞鶴海兵隊へ入団。45年7月ウエーキ島より帰国、湯川原温泉にて敗戦を迎える。草野鳴嵒主宰「宿雲」の同人となる。50年「航跡」を創刊。51年大津市俳句連盟創立に参加。52年中本紫公主宰の「花藻」同人に加わる。63年関西俳誌連盟常任委員となる。74年「俳句評論」同人。77年「曠野」を創刊。「橋」「投影」同人となる。78年「花藻」を退会し、「渦」同人。80年「白燕」「琴座」「夜盗派」同人。89年連句誌「曠野」創刊。90年「爐」同人。91年「紫」同人(93年退会)、「佐々奈美」を創刊。句集に『野守』(88年1月、曠野俳句会)、『近松寺内』(95年11月、曠野俳句会)がある。(浦西和彦)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.348,
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