『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「もり・みきお」で、略歴は「1902・2・1~1947・12・21。歌人。滋賀県大津市生まれ。1937年京都市東山区山科町(現山科区)御陵に転居。三菱銀行勤務。16年前田夕暮主宰「白日社」入社。19年尾山篤二郎主宰「自然詩社」創刊、参加。以後、尾山に師事し、機関誌「自然」に作品を発表。28年日本歌人協会会員となる。29年尾山篤二郎主宰の歌誌「青海原」編集担当。33年尾山主宰「自然」の編集も担当。40年尾山の新雑誌「芸林」同人。歌集『潮流』『雁行集』。遺歌集『太湖集』(78年11月、初音書房)が三女の森不二子によって出版。(後略)(山本洋)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.356,
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