『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「つかもと・くにお」で、略歴は「1922・8・7~2005・6・9。歌人、小説家。神崎郡五個荘村字川並(現東近江市五個荘川並町)に父欽三郎、母寿賀の次男として生まれる。(中略)1929年4月村立南五個荘小学校に入学し、35年4月滋賀県立神崎商業学校に入学、38年同校を卒業。(中略)45年10月大阪の総合商社又一株式会社に就職。48年5月竹島慶子と結婚し、(中略)49年4月長男青史(現在作家)誕生。60年6月同人誌「極」を寺山修司、岡井隆らと創刊するが、2号で終刊。前衛短歌運動の旗手として現代短歌を推進し、85年1月同人誌「玲瓏」の主催者となる。89年4月には、近畿大学文藝学部教授となり、学生歌人を育てる。(中略)43年、幸野羊三主催の短歌誌「木槿(むくげ)」に入会し作品を発表する。(中略)44年8月に母を失い、挽歌100首を制作。この頃から大阪の短歌誌「青樫」にも参加して月々作品を発表し、47年には前川佐美雄に師事し「日本歌人」に作品を発表、杉原一司を知る。49年8月、同人誌「メトード」を杉原一司、生島資子、岸本光治、稗田雛子らと発行。51年8月第1歌集「水葬物語」(メトード社)を亡友、杉原一司に献じる。(中略)以降、第2歌集「装飾楽句」(51年8月、作品社)、(中略)第24歌集「約幹(ヨハネ)傳偽書」(2001年3月、短歌研究社)と、24冊の歌集が刊行される。さらにその間に、「間奏歌集」、「小歌集」、「未刊歌集」、「彩画歌集」などの作品集が出され、それらを合わせると膨大な歌数になる。その他、『茂吉秀歌』全5巻(文藝春秋社)をはじめとする評論集、「荊冠伝説-小説イエス・キリスト」(集英社)をはじめとする小説、『現代百人一首』(書肆季節社)や『清唱千首』(冨山房)をはじめとするアンソロジーの編纂など、300冊を超える単行本が出されている。その間、59年に『日本人霊歌』で第3回現代歌人協会賞を受賞、87年に『詩歌変』で第2回詩歌文学館賞、89年に『不平律』で第23回釈迢空賞、92年に『黄金律』で第3回斎藤茂吉短歌文学賞、93年に『魔王』で第16回現代短歌大賞を受賞。また、90年には紫綬褒章、97年には勲四等旭日小綬章を受章する。(後略)(安森敏隆)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.209-211,
参考資料:
2 滋賀県人名鑑 滋賀県人名鑑編集部∥編 サンブライト出版 1982年 S-2800- 82,
参考資料:
3 人物レファレンス事典 文芸篇 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2010年 R-9103-ニ,
参考資料:
4 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11,
参考資料:
5 作家・小説家人名事典 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2002年 R-9102-ニ,
参考資料:
6 詩歌人名事典 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2002年 R-9110-ニ,
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