『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「たいなか・ひろむ」で、略歴は「1925・3・20~2003・7・3。詩人、林業家。甲賀郡雲井村(現甲賀市信楽町)黄瀬(きのせ)生まれ。曾祖父は石門心学者の伊兵衛。1939年雲井尋高等小学校高等科卒業。41年12月県立栗太農学校卒業、この頃から文学書を耽読。42年から「文藝首都」に投稿を始める。43年浄土宗青年光明会に入会。同年投稿した詩「土」が新潟の浅井十三郎主宰「詩と詩人」誌に掲載され、以後詩作にも熱中。44年滋賀県師範学校を卒業し、雲井国民学校訓導となる。入営前の45年3月、私家版で短編「密偵」「朝開」と詩10数編を併収した『朝開』を刊行。(中略)戦後は「文藝首都」のほか愛知県の梶浦正之発行「詩文学研究」、志賀英夫や井上靖らの「草原」、栃木の小池吉昌の「詩文化」、小倉の徳永寿による「建設詩人」、高知県宿毛の正木聖夫らの「南海詩人」、五味康祐らが参加した京都の「文学地帯」、寺田弘の「虎座」、米子から発行された「芽生」、また「柵」等に所属し、精力的に詩作を続けた。あわせて46年5月詩誌「紫空」を主宰発行(~48年5月)。同年7月詩集『追憶』を私家版で発行。47年10月梶浦正之序文による詩集『悲しき肉体』を文学地帯社から出版。翌48年3月には共著『紫香楽詩集』を同刊行会から編集発行した。同年滋賀郡伊香立村(現大津市)下在地の玉崎家の養子となる。(中略)51年近江詩人会に入会。また仏教大学読書会の指導にあたる。同年12月休刊していた「紫空」を「関西詩人」と改題して復刊(~21号)。58年6月詩集『古式な抒情』を思潮社から刊行。(中略)67年日本詩人クラブ入会。この前後に片田芳子主宰「開港都市」、諫早の上村肇の「河」、富山県高岡から発行された「北国帯」、鈴木亨らの「山の樹」(のち「木々」)、中野武彦らの「風祭」、新潟から発行の「現代詩謡」などの同人となっている。(中略)70年大阪駅前のコクサイ画廊で「田井中弘詩画展」を開催。同年日本現代詩人会に入会。(中略)詩集『私の樹木百選』(97年12月、詩画工房)は99年2月、第42回農民文学賞を受賞。(後略)(外村彰)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.183-185,
参考資料:
2 滋賀県人名鑑 滋賀県人名鑑編集部∥編 サンブライト出版 1982年 S-2800- 82,
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