『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「ふちた・たかお」で、略歴は「1937・4・4~。小説家。高島郡安曇村大字上小川(現高島市安曇川(あどがわ)町上小川(かみおがわ))生まれ、在住。1956年3月、県立高島高等学校卒業。すぐに陸上自衛隊今津駐屯地(途中6年間は大津駐屯地)に事務官として勤務。63年ごろから早崎(はやさき)慶三を中心として隆盛にむかいつつあった滋賀作家クラブに入会し、力量のあった渕田は、早崎や伏見丘太郎らの助言をうけて、当時新人発堀に意欲的だった講談社「小説現代」の新人賞に2、3度応募。成果は早く「アイヌ遊?伝」なる作品で、66年の第7回「小説現代」新人賞を射とめた。その後、良きリーダーとして信頼していた早崎の急逝もあって、渕田は滋賀作家クラブを離れるが、当時から大きなテーマと考えていた中江藤樹に打ちこむ意思を30数年持続させ、2001年6月、定年後の2年をかけた長編小説『天命の人-小説中江藤樹-』を完成、自費出版した。(山本洋)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.318-319,
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