『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「きたぎし・ゆういち」で、略歴は「1903・7・29~1976・7・22。演劇評論家。近江八幡市生まれ。1927年東京外国語学校仏語部卒業。大学時代、外村繁らが創刊した膳所中学校卒業生だけの同人誌「行路」(のち「黒生(くろふ)」)に加わり、稲垣達郎(いながきたつろう)らと交わる。報知新聞社に入り、29年朝日新聞社に転じる。34年大阪本社学藝部記者となり、文化、演劇欄を担当。能、狂言、歌舞伎、文楽、雅楽等の古典演劇の紹介、劇評を執筆しながら、外部の演劇雑誌にも評論、研究を発表した。58年定年退職後も同社客員として活躍し、浪速短期大学教授、63年より大阪藝術大学教授となった。評論家としてだけでなく演劇の現場にも直接関わり、52年来日したイギリスの劇作家J・B・プリーストリーを能「道成寺」に案内、63年東京での「東西演劇シンポジウム」に携わり、60年ジャン・ルイ・バローの文楽鑑賞に同行した際のエピソードを紹介して、バローの鑑識眼を評価しながら文楽の藝術性を説いている。(中略)編著『能のたのしみ』(65年11月、朝日新聞社)では、52曲の解説と一部写真を担当し能の象徴的な表現を説く。古典藝能に関する造詣と知識を買われて、文化庁文化財保護審議会専門委員、藝術文化専門調査委員、文楽協会専門委員、国際演劇協会理事、日本演劇学会理事なども務める。また長年にわたって朝日五流能、フェスティバル能、朝日狂言会などの企画、運営に当たり、70年には日本能楽団の欧州公演に舞台監督として同行。(中略)74年勲四等双光旭日章を受章。(高橋和幸)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.115-116,
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