『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「きのした・まさみ」で、略歴は「1950・5・20~。小説家。甲賀郡雲井村(現甲賀市信楽町)大字黄瀬(きのせ)生まれ。甲賀市信楽町在住。1969年県立大津高等学校卒業。滋賀県庁統計課などに勤務しながら立命館大学文学部人文学科日本文学専攻卒業。在学中の73年、日本民主主義文学同盟と同滋賀支部に加盟。74年日本青年文化コンクールで短編「青春の論理」(「青年運動」7月)が入選。その後県庁を退職し、県会議員秘書や新聞記者をしながら創作の道を選ぶ。78年、社会の底辺に生きる失業対策事業労働者をえがいた「明日への架橋」が、「文化評論」の懸賞小説の最終候補となり、81年1月、小児麻痺の妹をモデルにした「明子」が「滋賀民報」の文芸作品募集で入選。(中略)82年6月、父親の生と死を農村社会の人間と現代の時代状況とにからめて描きだした160枚の中編「彼岸花」が、「民主文学」にいっきょ掲載、全国的に注目された。つづけて同誌に各作200枚におよぶ中編小説「季節のめぐみ」(82年11月)、「季節の断層」(83年6月)、「季節の谷間」(83年11月)を発表。(中略)84年日本民主主義文学同盟を退会し、同盟議長の霜多正次、編集長の中野健二らと文芸同人「葦牙(あしかび)」を結成。同誌に「彼岸花」の続編「命の火影」(85年6月)を書き、86年11月この2作を収めた単行本『彼岸花』(みずち書房)を、88年9月には『季節の断層』(みずち書房)を出版した。(中略)他の著書に(中略)川柳(平賀胤寿作)から喚起されるイメージを自由に書きつづった『生きるとは にくやの骨のうずたかし』(95年5月、こうち書房、共著)がある。(中略)日本ペンクラブ会員。(後略)(山本洋)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.118-119,
参考資料:
2 作家・小説家人名事典 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2002年 R-9102-ニ,
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