『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「おか・せいめい」で、略歴は「1912・11・26~2000・8・22。俳人。東浅井郡浅井町三田(現長浜市三田町)生まれ。本名正明。1927年湯田(ゆた)尋常高等小学校高等科卒業。29年短歌を作り始め、青山霞村主宰「カラスキ」、のち斎藤瀏主宰「短歌人」の同人となる。35年短歌誌「波」を浅井白葉と共宰(~39年)。戦後は句作を志し48年「雲母」、54年「天狼」に所属。70年「雲母」復帰後、72年俳誌「青樹」入会。74年1月同人となり、同年6月には「青湖」を主宰。(中略)俳人協会会員。句集に『男坂』(81年8月、青樹社)(中略)、『北淡海』(93年11月、青湖俳句会)(中略)。ほかに合同句集『湖北路』(74年8月、私家版)や「青湖」選句の観賞文に加筆した『湖ぐにの俳句-鑑賞-』(89年11月、青湖俳句会)、『湖ぐにの俳句-その後の鑑賞-』(98年11月、青湖俳句会)もある。(外村彰)」とあります。なお、文中の「観賞文」は「鑑賞文」の誤植と思われます。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.81-82,
参考資料:
2 詩歌人名事典 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2002年 R-9110-ニ,
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