『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「おかざき・しんいちろう」で、略歴は「1923・7・24~。俳人。長浜市東上坂(ひがしこうざか)に養蚕技師山田伊三五朗(いさごろう)の次男として生まれる。1943年清水市の重砲兵学校で学び、西宮の連隊に配属。陸軍少尉として復員。49年関西大学法学部を卒業し、滋賀県庁に就職。62年「花藻」入門。65年金子兜太の「海程」に入会、同人となる。87年社会保険センターの俳句講座の講師となり、90年「龍鼻」を創刊、主宰する。伝統を踏まえつつ、自由に発想し、前衛的な手法を好んで取り入れている。(中略)俳壇への貢献として、98年第10回全国健康福祉祭(厚生省主催)が滋賀県で開催された時、俳句部門の新設を進言して採用され、以後全国規模で開催される契機を作ったことがある。県文学会理事、膳所俳句連盟会長として俳句の振興に努めている。(大田正紀)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.81,
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