『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「おくむら・くめぞう」で、略歴は「1910・7・15~1995・1・17。郷土史家、俳人。滋賀郡石山村(現大津市石山寺)生まれ。大津市石山寺在住。雅号紫城(しじょう)。代々つづく大工職の長男。石山尋常高等小学校高等科卒業後、家業を継いで大工となるが、その手腕、頭脳、人柄を見込まれて東寺真言宗石光山(せつこうざん)石山寺の専属の工匠(管理部所属のち主任)となる。40数年間勤務。その間、近江の刀鍛冶(かたなかじ)、市内の寺社建築、芭蕉や俳人の史跡、そして島崎藤村の事跡などの研究を行ない、それらの内容の一部を滋賀県県文化振興事業団発行の「湖国と文化」その他に発表。1973年1月、藤村研究の第一人者東洋大学教授の伊東一夫が助手1名とともに奥村宅を訪問。奥村は3日間かけて、今まで不分明だった石山寺茶丈(ちゃじょう)(密蔵院)と藤村の生活の精査結果をくわしく教えた。刀工堀井来助の仕事場にも案内し、藤村研究における未解明部分の研究に大きく寄与した。その緻密な考証内容は垣田時也・伊東一夫との共著『島崎藤村-彷徨の青春-』(77年2月、国書刊行会)第2部にくわしい。藤村研究会(現学会)理事(77~82年)また紫城という号で、稲畑汀子の「ホトトギス」にも参加。(後略)(山本洋)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.89,
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