『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「こにし・きゅうじろう」で、略歴は「1929・5・2~。歌人。彦根市生まれ。彦根市彦富町在住。本名久次郎(ひさじろう)。少年時代に石川啄木の短歌に魅せられて歌を作り始める。その後、生家の近くの蒲生郡桜川村(現東近江市)に前田夕暮門下の米田雄郎が居ることを知り、1952年創刊の「好日」に参加。59年3月米田雄郎の歿後は、香川進、米田登に師事、夕暮の白日社系歌風の継承につとめた。その歌風は65年刊行の第1歌集『聖湖』の(中略)理知的傾向から、第2歌集『湖の挽歌』(76年4月)の(中略)土着的な現実感を凝視する傾向へと転換した。72年より「好日」編集委員、選者をつとめる。83年3月に評論集『香川進の人と歌』(有明舎)刊行。(中略)90年5月刊行の『湖(うみ)に墓標を』(短歌新聞社)の〈われ逝かば湖に墓標を建ててくれ鯉鮒?と暮らさむがため〉にみるように、「自己の生活乃至生きる環境を基盤として、いわゆる泥くさい、地に足をつけた歌」を主題としたいという作者の真骨頂が発揮された。この近江生まれの土着的な歌風は多大の評価をえた。と同時に近江の近代短歌の父祖というべき米田雄郎の衣鉢(いはつ)を継ぐように、滋賀県歌人協会の結成当初から主要メンバーとして活躍、協会の運営に尽力、後進の育成に貢献する。(太田登)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.140,
参考資料:
2 人物レファレンス事典 文芸篇 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2010年 R-9103-ニ,
参考資料:
3 詩歌人名事典 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2002年 R-9110-ニ,
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