『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「ふじさわ・せきざん」で、略歴は「1892・2・19~1975・1・15。俳人。大津市石山寺辺町生まれ。本名繁三。13歳で「近江新聞」俳句欄に投句し、1910年に膳所中学校、14年には陸軍士官学校を卒業。25年陸軍大学校卒業。その後は千葉陸軍歩兵学校教官、旭川歩兵第26連隊大隊長などを歴任し、日中戦争に出征、ノモンハン事件にも参加。また航空通信司令官として新京、フィリピンを転戦し中将となる。敗戦後、捕虜生活を経て47年に帰国した。48年からは郷里で月の里酒造取締役などを勤めながら木の実句会に入会して句作に励み、52年には大津俳句結社連盟を創立した。翌年「馬酔木」に投句を始め、水原秋桜子に師事する。56年に滋賀県馬酔木会を設立し、62年「馬酔木」同人。翌年滋賀文学会会長、俳句部選者となった。近江の自然風物を多く詠み、句集には妻うたとの共著『夫唱婦随』(61年8月、私家版)、『続夫唱婦随』(70年5月、私家版)がある。(後略)(外村彰)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.309-310,
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