『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「ふじもと・けいこ」で、略歴は「1951・3・26~。小説家。滋賀県雄琴(おごと)村大字苗鹿(のうか)(現大津市苗鹿)生まれ。東京都杉並区在住。本名山田恵子、旧姓藤本。(中略)1969年県立大津高等学校卒業。大津市内で保母の職につく。大津中央公民館主催の創作講座に出席して小説を始め、70年受講生仲間と同人グループ「くうかん」を結成。71年2月の創刊号に最初の短編小説を発表。保母をやめ京都、大阪に移り、(中略)74年春23歳のとき意を決して)上京、アルバイトをしながら旺盛な創作意欲で小説を書き、そういう自分だけのために個人誌「逆行」を発行、多くの習作を載せる。75年その個人誌が名古屋で「作家」を主催する小谷剛の注目するところとなり、さそわれて「作家」に入会。同雑誌発表の2作目「ウエイトレス」(76年7月)が例会で他の同人たちからも強く支持され、第13回「作家」賞を受け、同人誌推薦作として「文学界」76年9月号に転載された。(中略)「作家」賞受賞後10年の86年、(中略)「比叡を仰ぐ」(6月)で第62回文学界新人賞を獲得。(中略)同作品は86年度上半期の芥川賞候補となり、選考委員の水上勉、安岡章太郎の強い推挙によって山田詠美とともに最終2作にはいったが、結局「該当作品なし」となった。(中略)94年12月から「京都新聞」に「百合?(ゆりかもめ)」を連載しはじめ、95年9月に完結、96年7月朝日新聞社から単行本として刊行した。(中略)2001年TBSブリタニカの募集した懸賞に「小説丸山定夫 築地にひびく銅鑼(どら)」を投稿。新劇界で天才と謳われながら広島で被爆死した丸山定夫の起伏に富んだ生涯を、エノケン(榎本健一)、徳川夢声らとの交流をとおして端正な筆致で描き、第10回開高健賞を受賞した。(後略)(山本洋)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.313-315,
参考資料:
2 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11,
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