『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「ふかお・どうてん」で、略歴は「1936・6・26~。シナリオ作家、映画監督。神崎郡旭村(現東近江市五個荘)木流(きながせ)生まれ。本名道典(みちのり)。(中略)北五個荘国民学校、神崎(現五個荘)中学校卒業。1953年県立八日市高等学校の3塁手として夏の甲子園野球大会に出場。55年3月同校卒業。早稲田大学第一文学部美術科時代には仏像や現代美術に関心を抱き、60年安保闘争を体験。61年4月、東映入社。京都撮影所の助監督となり、助監督部発行の同人誌にシナリオを発表。63年に大島渚監督から依頼を受け、小松川事件の李少年を描く「いつでもないいつかどこでもないどこかで」を執筆。(中略)「いつでもないいつかどこでもないどこかで」を第1稿として製作された、独立プロ・創造社製作「絞死刑」(監督大島渚)がA・T・G系で公開、その執筆陣に加わり田村孟、佐々木守、大島渚と共に68年度キネマ旬報脚本賞受賞。(中略)73年監督第1作「女医の愛欲日記」を発表。同年、京都から八日市市(現東近江市)に転住した。70年代には、人間が蛇に変身した「蛇の海」から人間の姿をした生きものが誕生し、家族を構成して生きていく成り行きを描いた、不思議な魅力を湛える神話めいた連作「蛇海」を、『蛇海』(76年1月、学藝書林)、『夢化粧』(78年4月、大阪写真専門学校)、『山手線目赤駅』(79年8月、仮面社)、『湖事記』(85年4月、ユニテ)にまとめた。(中略)86年にはフジテレビ系列の連続テレビドラマ「もめん家族」65話を執筆。(中略)なお随想集に、(中略)『水のほとりにて』(88年4月、京都書院)があり、近江関連の随筆は数多い。(中略)深尾は大阪シナリオ学校、のち東映俳優養成所の講師を務め、92年から「東映掌劇場」を主宰。脚本を書き演出に当たる。(中略)五個荘町歴史博物館顧問を兼務後は、同館のホールを拠点に劇を上演。(後略)(外村彰)」とあります。なお、五個荘町歴史博物館は現在近江商人博物館と称しています。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.303-305,
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