『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「ふじもと・えいこ」で、略歴は「1921・4・4~2000・11・10。俳人。大津市上栄町生まれ。大津市錦織居住。本名一蔵(いちぞう)。他の筆名一象(いちぞう)、逸象。京都工学校電気科卒業。三菱電機神戸製作所に就職。1941年京都第十六師団大津第9連隊に入営、八日市の飛行第3大隊に配属。陸軍航空隊整備員として満洲(現中国東北部)におもむく。45年10月南朝鮮(現韓国)より復員。滋賀県復員援護局に出頭するが、そこで援護局に勤務していた逢坂小学校時代の恩師中本研一(俳号紫公)に再会。そのつてで46年1月より同復員援護局(のち地方世話部)につとめる。47年大津市晴嵐の日本電気株式会社(NEC)大津製作所真空管製作課に転じ、のち新日本電気株式会社大津工場、さらに同社大阪本社宣伝部に勤務。46年10月、中本紫公を主宰とする俳誌「花藻」の創刊にさいしては一番弟子として参画する。(中略)以後藤本は同人として編集長として「花藻」にたずさわり、精力的に句作活動を行う。(中略)創刊の46年から95年までその表紙画、詩中のカットを書きつづけ、俳画にも情熱をそそいだ。ちなみに、藤本は戦後最初のアンデパンダン展(京都市立美術館主催)で日本美術賞を受賞した実績を持つ。(中略)55年ごろより10年間、滋賀刑務所の受刑者に俳句を指導し、60年には法務大臣より表彰をうけた。62年より滋賀文学会理事(県文学祭俳句部門選者)、71年より俳人協会会員。73年11月中本紫公の死没により後継者として「花藻」を主宰することになる。(中略)90年滋賀県文化賞(芸術文化部門文芸)を受賞。95年「花藻」の主宰を中川いさをに託す。関西俳誌連盟常任委員、大津俳句連盟理事、財団法人俳人協会評議員を歴任。(後略)(山本洋)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.311-313,
参考資料:
2 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11,
参考資料:
3 滋賀県人名鑑 滋賀県人名鑑編集部∥編 サンブライト出版 1982年 S-2800- 82,
↧