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松村蒼石の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)

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『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「まつむら・そうせき」で、略歴は「1887・10・2~1982・1・8。俳人。蒲生郡老蘇(おいそ)村(現東近江市五個荘)大字清水鼻(しみずがはな)生まれ。本名増次郎。(中略)。老蘇村立尋常小学校4年を修め、1898年4月から絹織物卸業を営む商家に丁稚奉公。1年後京都の店舗で小僧として働き、早稲田中学科外講義等に学ぶ。1904年手代となり、5年ぶりに帰郷。(中略)05年秋から約1年間「京都日出新聞」俳句欄(中川四明選)他に句稿を送る。翌年10月奉職先の東京支店新設に伴い上京。こうした経緯は、「-自叙伝-露のむかし」(「雲母」59年8月~10月)に詳しい。(中略)23年関東大震災に遭い家財全焼。翌年埼玉県大宮の仮寓で長女と妻が病歿。この後17年ぶりに作句を再開し、「ホトトギス」「鹿火屋(かびや)」「枯野」への投句期を経て飯田蛇笏に傾倒、25年入門。以来「雲母」に50年以上欠かさず投稿を続ける。36年に再婚の妻死去、戦時中次男病死に続き、長男戦死。のち東広に勤務しながら足立区に居住し、60年には30年ぶりに帰郷する。一方41年雲母巻頭10回記念祝賀会が催されるなど、蛇笏門下でも重きをなし、戦前「雲母」の有力作家と「彩雲」を、47年4月長谷川朝風と「玉虫」誌を共宰した。(~53年7月)。66、73年に「雲母」の山廬賞、73年『雪』他で第7回蛇笏賞を受賞。生母や師を篤く慕う温和謹直な人柄で、人生の辛酸を経た境涯は虚心の写生を通した平明な句にも映じる。それらにはしばしば遠い故郷への郷愁が潜む。第1句集『寒鶯抄<雲母作家選集>』(50年7月、玉虫発行所)の<ふるさとは緋蕪漬けて霰どき>や『露<雲母叢書第十一篇>』(60年1月、雲母社)所収の<ふるさとの山なだらかや春の闇>はその代表例。また『春霰』(67年7月、竹頭社)には「三十余年相見ざりし滋賀の郷里」を訪れた折の「ふるさと 二十七句」を収める。句集は他に「雪」(72年8月、竹頭社)<望郷や枯いろしのぐ蘆の丈>、『雁』(75年11月、永田書房)。(中略)自選句集に『松村蒼石集<自註現代俳句シリーズ・Ⅱ期37>』(78年10月、俳人協会)がある。(後略)(外村彰)」とあります。 参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.330, 参考資料: 2 人物レファレンス事典 文芸篇 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2010年 R-9103-ニ, 参考資料: 3 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11,

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