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山田平一郎の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)

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『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「やまだ・へいいちろう」で、略歴は「1912・12・4~。歌人。神崎郡御園村(のち八日市市、現東近江市御園町)中小路生まれ。1930年八日市中学校(旧制)を卒業し、京城帝国大学予科に入学。在学中に発病し、退学して帰国。32年彦根高等商業学校に入学。35年卒業。京都市千本今出川の嘉楽小学校教員として2年間勤務したが、再び発病。41年水口中学校(旧制)、48年八日市高等学校を経て、72年日野高等学校校長として退職。その後、淡海女子専門学校校長として7年間勤務する。中学2年頃、従兄に作句を勧められ、博文館の月刊誌「中学時代」の選者巌谷小波の俳句欄に投稿。さらに従兄に作歌も勧められ、中学4年の頃から歌を作る。佐佐木信綱選の朝日歌壇に投稿、やがて斎藤茂吉選も新設され、投稿した。京城帝国大学予科のころ、アララギ系の「久木」という歌誌に参加。病のため帰国し、中村憲吉選になっていた朝日歌壇へ投稿。アララギ会にも入会する。その後、第二藝術論や国語問題に気をとられ、作歌に懐疑的になった時期があったが、56年八日市高等学校の同僚、佐々木糺らと「滋賀アララギ」を創刊。58年より会長として現在に至る。その間、八日市文学会長、滋賀文学会理事や顧問、滋賀県歌人協会副代表幹事を歴任。歌集に『歳月』(77年1月、椎の木書房)、編著に『万葉の近江』(71年1月、白川書院)がある。(後略)(北川秋雄)」とあります。 参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.369-370, 参考資料: 2 滋賀県人名鑑 滋賀県人名鑑編集部∥編 サンブライト出版 1982年 S-2800- 82,

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