『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「はしもと・てつお」で、略歴は「1917・6・2~1996・10・11。民俗学者。高島郡今津村北浜(現高島市今津町)生まれ。1936年3月今津中学校(旧制)卒業。9月愛知郡西小椋尋常高等小学校代用教員になるが、中国に渡り、39年3月関東局立旅順師範学校を卒業し、新京西広場尋常小学校訓導となる。肺結核のため帰国。44年青柳村立青柳国民学校訓導。47年青柳中学校教諭となる。この頃、民俗学を知り県内各地に残る「大将軍」という地名の研究を始める。途中、病気が再発して肺の手術を受ける。療養を兼ねて、教職の合間に朽木村の民俗調査を行う。59年6月『朽木谷民俗誌』を自費出版。ライフワークの木地屋研究を始める。68年4月県教育委員会編で『木地師の習俗一』(平凡社)を出版。研究は「正倉院文書」をはじめ、史料に見え隠れする木地屋の記録を加えながら、「漂白の職人衆」の全容をつかもうとする。73年3月安曇川中学校教頭着任を経て退職。91年、木地屋とろくろ研究所を主宰。93年成安造形大学非常勤講師。主な役職としては、国立歴史民俗博物館国内資料調査委員(80年)、安曇川町史編集委員長(80~84年)、滋賀県文化財保護審議会委員(80~90年)、近畿民俗学会代表理事(84年)、県立琵琶湖博物館建設準備委員(89~95年)など。86年第11回滋賀県文化賞、91年第35回京都新聞社文化賞、92年日本地名研究所第11回風土研究賞、94年地域文化功労者文部大臣表彰を受ける。著書に『木地屋の民俗』(82年8月、岩崎美術出版)、『輪ノ内の昔』(上89年8月、下91年10月、北舟木史稿刊行会)、『藁綱論―近江におけるジャのセレモニー―』(94年11月、初芝文庫)、『私のトルヌス―民俗学からの遥かなる視線―』(96年1月、サンライズ印刷出版部)。『丸子船物語』(97年10月、サンライズ印刷出版部)。編著に『朽木村志』(74年3月、朽木村教育委員会)、『安曇川町史』(84年11月、安曇川町)(中略)などがある。(後略)(北川秋雄)」とあります。なお、文中の「北舟木史稿刊行会」は「北船木史稿刊行会」の誤植です。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.274-276,
参考資料:
2 滋賀県人名鑑 滋賀県人名鑑編集部∥編 サンブライト出版 1982年 S-2800- 82,
参考資料:
3 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11,
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