『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「はた・きくお」で、略歴は「1924~1・4~。俳人。犬上郡青波村大字芹川(現彦根市外町)生まれ。1940年海外雄飛の希望を抱き、講義録で英語の勉強を始めるが、41年世界情勢か険悪となり、勉強を断念する。その時、講義録の「友の会文藝欄」の俳句を目にしたのが、俳句との出会いとなる。まもなく浜中柑児の毎日俳壇に投句。42年4月彦根水音吟社に入会。以来ホトトギス系の作句を続けてきた。43年に虚子の西下に同行していた深川正一郎を、その帰路彦根に迎えて以後、彦根の俳誌「水音」で指導を仰ぐ。戦後、久米幸叢が米原に引き揚げて来たのを縁に師事する。「ホトトギス」「雨月」「藍」「花鳥」に参加。(後略)(北川秋雄)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.278,
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