下記の資料に年代の一部の参拝者数が掲載されている。ただし各年ごとの参拝者数については、見つからなかった。
『日本地誌 6 群馬県・埼玉県』(二宮書店 1981)
p440「三峰」
「桜井徳太郎によれば、三峰講参拝者数は次のとおりである。」とあり。
1839年(天保10)、1854年(安政1)、1868年(明治1)、1922年(大正11)、1930年(昭和5)、1935年(昭和10)、1945年(昭和20)の参拝者数が記載されている。
上記の資料に参拝者数についての参考文献の記載はないが、下記の資料が出典と思われる。
『講集団成立過程の研究』(桜井徳太郎著 吉川弘文館 1977)
p547-554「三峯講-外来信仰伝道者が氏子の場合-」
p549に「第11表 年代別登拝数統計表(日鑑及び講社台帳による)」
享保12(1727)~文政5(1822)、1839年(天保10)、1854年(安政1)明治1年、大正11年、昭和5年、昭和10年、昭和20年の統計あり。上記の資料と同じ数値。
「日鑑及び講社台帳による」と記載あり。
参拝者数ではないが、
p548「府県別三峯講中分布表(昭和23年調査)」(三峯神社講社台帳に拠る)あり。
『桜井徳太郎著作集 1 講集団の研究』(桜井徳太郎著 吉川弘文館 1988)
上記の論文が記載されている。
p547-554「三峯講-外来信仰伝道者が氏子の場合-」
p549「府県別三峯講中分布表(昭和23年調査)」(三峯神社講社台帳に拠る)
『三峰山』(三峰神社社務所 1965)
p44-47「講社の分布」
p46 講社・講員の府県別表あり(昭和15年)。
長野、埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木、東京、山梨、静岡の講社数、講員数。
参拝講社の府県別表(昭和13年、昭和33年)
東京、千葉、埼玉、群馬、茨城、神奈川、栃木、長野の参拝講社数。
三木一彦「関東平野における三峰信仰の展開-武蔵国東部を中心に-」(『文教大学教育学部紀要第39集』p63-77 文教大学 2005)
p71「表5 並塚三峰講の沿革(三峰山博物館所蔵,『並塚三峰神社新築年号并講社調書』により作成)」表あり
享和元年(1801)~昭和18年(1943)までの葛飾郡並塚村の講員数と代参人数の統計。
p73「表6 伊藤谷(綾瀬)三峰講の沿革(吉田裕家所蔵の三峰講関係文書により作成)」表あり。
安政4(1857)-平成17(2005)までの足立郡伊藤谷村の講員数と代参人数の統計。
『修験道の美術・芸能・文学1 山岳宗教史研究叢書 14』(五来重編 名著出版 1980)
p380-403「三峯信仰とその展開」(横山晴夫著)
p388「表1 御眷属拝借者数」
参拝者数ではないが、御眷属拝借者数あり。
文化14、文政5、文政8、天保5、天保11、弘化3、嘉永4、安政5、文久2、慶応3、明治元、明治15、明治25、明治35、大正元、大正10、昭和15、昭和20、昭和30年の御眷属数。
ウェブサイト《三峯山博物館》によると「講社登拝記録をはじめ山内の様子を書き綴った「日鑑」」を展示しているとあるため、紹介した。
(http://www.mitsuminejinja.or.jp/hakubutsukan/index.htm 三峯山博物館 2012/09/07最終確認)
回答プロセス:その他調査済み資料。該当の記述がなかったもの
『新編埼玉県史 統計』(埼玉県 1981)
雑誌『みつミ祢山』(三峯神社社務所)
『三峰神社誌 講社篇 三峰講調査報告』(三峰神社社務所 1981)
『新・三峯山誌 第1集』(新井啓著 秩父宮記念三峰山博物館 1988)
『新・三峯山誌 第2集』(新井啓著 零々舎 1991)
『埼玉県神職会報』第48,52-54,57-59,61-69号(埼玉県神職会 1923.1-1929.10)合本
『埼玉県神職会報』第70-83,85-87号(埼玉県神職会 1930.1-1934.6)合本
『埼玉県神職会報』第88-90,92-102号(埼玉県神職会 1935.1-1940.7)合本
『埼玉県の神社』(埼玉県神職会 1930)
『入込観光客「推計」調査の概要 平成19年(暦年)』(埼玉県産業労働部観光振興室)
「寺社参拝及び文化財・天然記念物見学」全体数はあるが、個別の寺社の統計はなし。また、平成8年からの所蔵で該当の年度の統計はなし。
『三峯神社日鑑』(三峯神社社務所 2000-2007)
安永8年-明治10年しか刊行されていないため、大正-戦後はなし。
参考資料:『日本地誌 6 群馬県・埼玉県』(二宮書店 1981),
参考資料:『講集団成立過程の研究』(桜井徳太郎著 吉川弘文館 1977),
参考資料:『桜井徳太郎著作集 1 講集団の研究』(桜井徳太郎著 吉川弘文館 1988),
参考資料:『三峰山』(三峰神社社務所 1965),
参考資料:『文教大学教育学部紀要第39集』(文教大学 2005),
参考資料:『修験道の美術・芸能・文学1 山岳宗教史研究叢書 14』(五来重編 名著出版 1980),
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