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日本史学年次別論文集古代2-2004年の中に「常磐光長研究ノート」という論文があるようです。 光長の家系についての記述があれば教えてください。 また、それ以外でも家系についての資料があれば教えてください。(大阪府立中央図書館)

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 お尋ねの「常磐光長研究ノート」は、p.281-292に収録されています。  家系に関する記述があるかということですが、ざっと目を通した限りではほとんど記述がないように思われます。項目を紹介しますと「はじめに」、「1.最勝光院障子絵と光長」、「2.中・近世―鑑賞と鑑定を介した光長伝説の形成」、「3.近代美術史学―伝承と実証の狭間」、「おわりに」となっており、家系に関してまとめて記述されている部分はないようです。どちらかと言えば光長自身あるいは事績についての記述が中心かと思われます。ただ、「・・・「常盤源二光長」という呼称から、源氏出自のものの二番目の息子、また山城国太秦北一帯を指す常盤という地名に縁があるものと推定する。さらにこの地に別業を構えた藤原為忠が、最勝光院にて光長とともに画事を行った隆信の祖父にあたっており、光長は、その子為業の家臣ではないかと推論する。」というような出自に関する記述が含まれています。また巻末には詳細な「註」があり、かなりの数の文献が紹介されています。どのような情報が必要なのか推定致しかねますので、ご本人にご覧いただくのがよいかと思われます。ただ、当資料は協力貸出ができません。中之島図書館に回送は可能です。複写も可能ですが、文字が小さく「註」の部分はさらにポイントが小さく見にくくなっています。  以上が「常磐光長研究ノート」に関する調査結果です。  当館所蔵資料のなかに出自や家系に関する資料がないかも調査しました。 『大日本書画名家大鑑:伝記 上編』(荒木矩/編 第一書房 1980) 「光長」の項目に「土佐光長、従四位下刑部少輔に至る、・・・年中行事の筆者といふを以て、特に有名なる光長の世系は、甚だ分明ならず、或は邦隆の男、或は隆親の男、或は経隆男などいへれど、いづれも時代合はず、恐らく他流の人なるべしとの説あり、暫く記して後考を待つ」と書かれています。なお、この資料は、大日本書画名家大鑑刊行会 昭和9年刊の復刻です。 『日本美術史事典』(平凡社 1987.5) 「常盤光長」の項目に「一二世紀後半、後白河上皇のもとで活躍し・・・生没年をはじめ経歴の詳細は不明であるが、後世土佐派の系図において、基光、隆能などに続く祖先の一人に列せられて土佐光長などと呼ばれ、当時の能画の第一人者と目された。この光長は、後白河上皇の寵妃建春門院が建立した最勝光院の御堂や御所の障子絵制作を命ぜられた常盤源二光長と同一人物と考えられる。・・・」と書かれています。 『宮廷画壇史の研究』(宮島新一/著 至文堂 1996.2) 「第二章 後白河院政期から鎌倉時代中期にかけての宮廷画壇」の「第三節 宮廷絵師としての宅間派と絵所預兼康」の節に「・・・近年、「伴大納言絵巻」の絵師として再びクローズアップされてきた常盤源二光長である。この絵師は、承安三年(1173)に、最勝光院御所の障子絵を藤原隆信とともに描き、相貌以外を受け持ったというから、職業的絵師として、障子の大部分を画いたことになる。なお、常盤は京都市右京区の地名で、隆信の父を含む三兄弟「常盤三寂」と称されており、二人が合作する機縁にもなった。したがって光長は源姓で、「二」は次男を意味しよう。・・・」。また「・・・おそらく光長は代々の絵師の家柄に生まれたものではなかったのであろう、正統的な宮廷絵師の画風を受け継いでいたにもかかわらず、すでに推測したように彼には後継者はいなかった模様である。平安朝絵画の頂点に到達していたといっても過言ではない、光長の卓越した技倆を受け継ぐことは困難であったかもかもしれない。次の世代にはその片鱗さえ見出すことができない。・・・」とも記されています。 『日本絵巻大成2:伴大納言絵詞』(小松茂美/編 中央公論社 1977) 巻末に「「伴大納言絵詞」成立の周辺と背景」という論文が収録されています。その第三章が「絵師常盤源二光長の登場」となっています。特にp.129から「土佐光長は、別に春日の姓をもって呼ばれることもある。江戸中期以降、さまざまな画人伝や画人系譜が編まれた」として土佐系図などの論考におよび、「常盤源二光長。字面を眼にするかぎりにおいて、通称らしくもある。しかも、武士の名を思わせるではないか。源二というのは、源氏出自のものの二番目の息子、とでもいうのであろうか」と出自に関する記述が続きます。家系に関する記述が現段階の調査資料のなかでは一番詳細な資料のように思われます。  なお、『小松茂美著作集30:日本絵巻史論2』(旺文社 2000.9 請求記号:728.2/106N/30)にこの論文が収録されています。内容的に若干の異同があり、系図等に関する記述が少なくなっているように思われます。  また、『小松茂美著作集31:日本絵巻史論3』の第三六章「年中行事絵巻」誕生のなかに「関白基房と絵師光長と入道教長」という項目がありますが、家系に関する記述はほとんどありません。その他『角川絵巻物総覧』(角川書店 請求記号:721.2/18N)のp.533に「常盤光長」という項目がありますが、家系に関する記述はありません。  一応回答期限になりましたので、現時点までの調査結果を送付します。  なお、今回は当館所蔵資料を調査しました。中之島図書館所蔵でも関連資料を所蔵しているようですが、時間の都合上調査が及んでいません。参考までに6点紹介しておきます。 ・「伝藤原光長筆 伴大納言画巻」瀧精一(無外子)/著(『国華』176 1905年) ・「倭絵の人物画を論ず」瀧精一/著(『国華』182 1905年) ・「光長伴大納言画巻の一節」瀧精一/著(『国華』192 1906年) ・「光長伴大納言絵巻の他の一節」椎軒/著(『国華』205 1907年) ・「絵巻物概説」福井利吉郎/著(『岩波講座日本文学19』 1931-1933 請求記号:220.7/85/#) ・「伴大納言」源豊宗/著(『大和絵の研究』角川書店 1976 請求記号:911/477/#) 参考資料:『日本史学年次別論文集:古代2-2004年』(学術文献刊行会/編集 朋文出版 2006.4)(ページ:281-292), 参考資料:『大日本書画名家大鑑:伝記 上編』(荒木矩/編 第一書房 1980)(ページ:616-617), 参考資料:『日本美術史事典』(平凡社 1987.5)(ページ:674), 参考資料:『宮廷画壇史の研究』(宮島新一/著 至文堂 1996.2)(ページ:77-78), 参考資料:『日本絵巻大成2:伴大納言絵詞』(小松茂美/編 中央公論社 1977)(ページ:121-135),

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