平安時代の数字の読みについて、一覧で記述されている資料を探しましたが、見つけることができませんでした。
一覧になっておりませんが、
・『日本語学』第28巻第7号(明治書院 2009.6)
安田尚道氏「古代語の数詞と助数詞」には、次のような記述があります(4頁)。
日数 フツカ(2日)・ミカ(3日)・ヨウカ(4日)・イツカ(5日)・ムユカ(6日)・ナヌカ(7日)・ヤウカ(8日)・ココヌカ(9日)…【この系列を「日数詞」と呼ぶことにする】
人数 ヒトリ(1人)・フタリ(2人)・ミタリ(3人)・ヨタリ(4人)・イトリ(5人)【この系列を「人数詞」と呼ぶことにする】
これ以外に、ヒトツ(1個)・フタツ(2個)・ミツ(3個)・ヨツ(4個)・イツツ(5個)・ムツ(6個)・ナナツ(7個)・ヤツ(8個)・ココノツ(9個)・トヲ(10個)・ハタチ(20個)・ミソヂ(30個)・ヨソヂ(40個)【この系列を「個数詞」と呼ぶことにする】
・『数え方の日本史』(三保忠夫/著 吉川弘文館 2006.3)
13頁に「数字をどう読んだか」という項があり、祝詞などから、例えば装束についての数え方で「54種」「21種」を「イクサアマリヨクサ」「ハタクサアマリヒトクサ」と呼ぶと書かれています。
また「それのとしのしはすのはつかあまりひとひのひ」(某年の12月21日)のようにひらがなで書かれた『土佐日記』から数え方を考察しています。71頁には『後拾遺集』序文の「15番」を「トヲアマリイツツカヒ」、『千載集』序の「1200余首」「20巻」を「チウタフタモモチアマリ」「ハタマキ」と書いています。
・『伊呂波字類抄』は橘忠兼が著した平安末期の国語辞書です。当館が所蔵しているものは、室町の初期の写本された東京の大東急文庫所蔵本の影印本です(雄松堂出版 1987.5)。
まずイロハ順に分かれ、各順を天象・地儀など21門に分類しています。「員数」とあるものが数に関する項目で、読みが付されています。
一/壹(イ)(ヒトツ)
二/貮(ニ)(フタツ フタタヒ)
三/参(ミツ)
四/肆(ヨツ)(シ)
五(イツツ)
六/陸(ムツ)
七(ナナツ)
八(ヤツ)
九(ココノツ)
十/拾(トヲ)
廿(ハタチ)
三十(サムシウ)(ミソチ)
四十(ヨソチ)(シシウ)
五十(イカ)
百/佰(モモチ)
千/仟(チチ)(セ)
万/萬(ヨロツ)(マン)
億(オク)
兆(テウ)
旬(トウカ)
百日(モモカ)
・『国史大辞典 8巻』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1987.10)
34-35頁の「数字」の項は、主に記号としての数字について記載されており、数字を文字の一種として説明しています。
その中で数字にも音訓があり、訓について『類従名義抄』が引用されています(一は「モハラ・トモシ・トモ・キハム・チヒサシ・オナジ」が倭訓で、「ヒトツ・ヒトリ・ヒトタバ」と並んでみえるている、とあります)。山田俊雄氏が執筆されています。
・『平安時代史事典』(角田文衞/監修 角川書店 1994.4)
索引で「数」を見たが、項目は「数え歌」「数祓」「数珠」の3項目だけで、数字の読みについては記述はありませんでした。
『同 資料・索引編』にも数字の読みについての記述はありません。
「浮舟」に出てくる「7・8人」というのは、
・『時代別国語大辞典 上代編』(上代語辞典編修委員会/編著 三省堂 1990.1)
には「なな[七]」の項に「ななたり」(526頁)、「や[八]」の項に「やたり」(754頁)と出ていました。
なお、「7・8人」と続けて読む場合ですが、当該部分は「浮舟」のおそらく「荒らかなる七八人男ども多く…」の部分と思います。
『源氏物語』の写本の校異を研究した本にはひらがながそのまま翻刻されていれば、その場合人数の読みもわかると考えました。
下記二点の資料を確認しましたが、ともに「七八人」と漢字表記されていて、読みは記載されていませんでした。
・『源氏物語別本集成 第14巻 東屋-浮舟』(源氏物語別本集成刊行会/編 おうふう 2002.6)
・『源氏物語大成 巻三』(池田亀鑑/編著 中央公論 1954.2)
参考資料:『日本語学』第28巻第7号(明治書院 2009.6)(ページ:4),
参考資料:『数え方の日本史』(三保忠夫/著 吉川弘文館 2006.3)(ページ:13・71),
参考資料:『伊呂波字類抄』(雄松堂出版 1987.5),
参考資料:『源氏物語別本集成 第14巻 東屋-浮舟』(源氏物語別本集成刊行会/編 おうふう 2002.6)(ページ:394),
参考資料:『源氏物語大成 巻三』(池田亀鑑/編著 中央公論 1954.2)(ページ:1876),
参考資料:『時代別国語大辞典 上代編』(上代語辞典編修委員会/編著 三省堂 1990.1)(ページ:526・754),
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