『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「織田信長は、1570年(元亀元)に越前の朝倉義景を討つための軍事的目的として、家臣の森三左衛門可成(よしなり)に命じて大津の宇佐山(標高336m、大津市錦織町)の頂上に城をきずかせた。城の位置は、北国海道(西近江路)を東にみおろす比叡山系の尾根上にあたる。そして京都と大津・坂本をむすぶ今道越(山中越)と逢坂越の2道をおさえる要害の位置にもあたっていた。城は「志賀の城」、「志賀要害」ともよばれていた。宇佐山頂上は、南北に細長くのびた山頂の平坦地で、「く」の字形の地形をとり、北から三の丸、本丸、二の丸の順に構築されていた。いまも山頂の東斜面に石垣が数カ所にわたってみることができる。初代城主森可成の戦死のあと明智光秀が城主となり、信長の山門焼打ちののち、坂本に城(坂本城)を築きうつるまで宇佐山城は存続していた。(木村至宏)」とあります。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.62,
参考資料:
2 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.288-289,
参考資料:
3 図説中世城郭事典 第2巻 村田修三∥編 新人物往来社 1987年 S-5200- 87,
参考資料:
4 近江の山城ベスト50を歩く 中井均∥編 サンライズ出版 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
5 近江城郭探訪 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県文化財保護協会 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
6 定本日本城郭事典 西ケ谷恭弘∥編 秋田書店 2000年 R-5218-ニ,
参考資料:
7 大津の城 大津市史編さん室∥編 大津市 1985年 S-5211- 85,
参考資料:
8 大津市・宇佐山城跡調査概要 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1972年 5-2211- 72,
参考資料:
9 織豊期城郭の瓦 織豊期城郭研究会∥編集 織豊期城郭研究会 1994年 SB-5200- 94,
参考資料:
10 新修大津市史 第3巻 近世前期 林屋辰三郎∥[ほか]編 大津市役所 1980年 S-2111-3,
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