『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「神崎郡永源寺町一式」、創建者は「一色相模守相吉」、形式は「平城」です。城の歴史は「一式城の由来は一色氏がこの城に常住したことによる。一色氏は足利氏の支族で、足利泰氏の子公深が、三河吉良荘一色に住んだのに始まり、その子範氏は足利尊氏に従い九州で活躍。のち、丹後・若狭・近江に分散し、四職家の一つとして重きをなしたが、義貫が足利義教に嫌疑をかけられて自殺して以後衰退し、佐々木六角氏の臣松吉石見守重吉と交代した。織田信長が千種越や、八風越で当地へ進出すると、浅井長政は鯰江城を攻略し、一式に一揆を起こさせ成功しているのは、一式城があったことと松吉石見守がいたためである。しかし、佐々木氏の滅亡と同時に一式城も焼亡した。(後略)」とあります。なお、神崎郡永源寺町一式は現在東近江市一式町になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.247,
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