『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「神崎郡永源寺町高野」、創建者は「小倉氏」、形式は「山城」です。城の歴史は「織田信長は近江へ入ると、永禄十一年(一五六八)九月、永源寺に安堵書を与え、信長の側室「お鍋」の君の館がこの地に造られた。「お鍋」は信長との間に二男一女をもうけて高野城に安穏な日々を送ったが、天正十年(一五八二)六月二日、本能寺で信長が討たれたのち、安土城は焼亡し、長浜城も明智の支配下となり、「お鍋」もわずかの家臣と共に行方をくらました。現在、本丸には本丸櫓跡や空堀が残り、穴太積(あのうづみ)の石垣が東西約七十mの長さで比較的良く保存されている。城跡は、全面水田に耕作されていて、前の細い田が堀の名残りといわれている。」とあります。なお、神崎郡永源寺町高野は現在東近江市永源寺高野町になっています。また、文中の「長浜城」は「高野城」の誤植と思われます。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.247,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 4 旧蒲生・神崎郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県教育委員会 1986年 5B-5200-4,
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