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近江にあった山上(やまかみ)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)

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『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「神崎郡永源寺町山上」、築城年代は「明応八年(一四九九)頃」、創建者は「小倉右近大夫賢治」、形式は「平城」です。城の歴史は「山上城は小椋荘、柿御園荘一帯に勢力を持っていた小倉氏が、伊勢へ抜ける間道の天険を有するこの地域に目をつけ、応仁の乱の頃より山上城を主力に出城として山田城、八尾城を築いた。このように、山上城は南北朝時代より小倉氏累代の居城として栄え、元来小倉(愛知郡愛東町小倉)を本拠としていたにもかかわらず、戦国時代になると、高野にも本拠が置かれるような形になってきた。現在、本丸には本丸櫓跡のみが残り、その南には浄土宗向上山安養寺がある。なお、山上城は応仁の乱の時に浦上宗則に焼き払われるなど、敗戦の憂き目もみているので、「山上に三本の抜け道あり」といわれるように、用心深く敗戦にそなえて曲がりくねった道も造られ、また、防火用に他の集落には見られない多くの溝が造られていた。」とあります。なお、神崎郡永源寺町山上は現在東近江市山上町に、愛知郡愛東町小倉も同市小倉町になっています。 参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.248, 参考資料: 2 滋賀県中世城郭分布調査 4 旧蒲生・神崎郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県教育委員会 1986年 5B-5200-4,

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