『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「伊香郡高月町磯野」、創建者は「磯野刑部員友」、形式は「山城」、城の歴史は「(前略)永正十四年(一五一七)に、浅井備前守亮政が江北の諸城を落とし、そして京極高清を小谷城に幽閉した時、浅見対馬守は山本山城に籠もり、磯野右衛門大夫員詮(かずあきら)は七百余騎をもって磯野城に籠もって反抗したといわれる。城の守りは固く、浅井氏も攻めあぐんだが、員詮の子為員は山本山城の浅見氏を援けようとして打って出、かえって浅井方に従っていた従弟の宮沢平八郎員宗に討たれて、山本山城は落城し、しばらくして磯野城も落城した。その後、員宗は伊予守を継いで佐和山城主となり、磯野城は大橋安芸守秀元が新たに城主となった。」とあります。なお、伊香郡高月町磯野は現在長浜市高月町磯野になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.228,
参考資料:
2 近江伊香郡志 上巻 富田八右衛門∥編 江北図書館 1952年 5-2170-1,
参考資料:
3 近江の磯野氏 磯野太郎∥著 磯野員彦∥著 磯野太郎 1984年 S-2800- 84,
参考資料:
4 近江名跡案内記 北川舜治∥著 北川舜治 1891年 S-2900-891,
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