『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「坂田郡米原町朝妻筑摩に存在した城砦。朝妻は浜街道がとおり、朝妻港の所在地でもあり、陸上、水上交通の監視のために古くより平地に城砦が存在していた。天文年間(729~749)には土地の豪族新庄蔵人が修築した。蔵人の子直頼のとき一時六角定頼の属城となったが、浅井長政が六角氏をやぶり、直頼がふたたび守将となる。1571年(元亀2)織田信長が佐和山城を落城させたとき、直頼も信長に降伏しその支配下にはいった。城跡は御屋敷とよばれており、現在中島神社がある。(江竜喜之)」とあります。なお、坂田郡米原町朝妻筑摩は現在米原市朝妻筑摩になっています。また、文中の「天文年間(729~749)」は「天文年間(1532~1569)」の誤植と思われます。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.8,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 6 旧坂田郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1989年 5B-5200-6,
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