『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「蒲生郡安土町にあり。標高432.9mの観音寺山(繖山)にきずかれた近江守護職・佐々木六角氏の居城。観音寺城の初見は『太平記』であるが、このときの城は、城というよりも臨時の砦のようなものであったとされている。その後、応仁・文明の乱になると『碧山日録』などに、六角高頼が観音寺城にたてこもるという記事がしばしば記されていることから、この前後に観音寺城は城郭としての体裁をととのえたとみられている。1532年(天文元)六角定頼は、観音寺城の一角、桑実寺正覚院に将軍足利義晴をむかえて、ここで結婚式をあげさせているが、この義晴仮寓にさいし、定頼は観音寺城を全面的に改修したようである。1533年(天文2)に鉄砲が伝来すると、観音寺城もそれに備えて弘治年間(1555~58)にふたたび改修されたようである。1568年(永禄11)六角承禎(じょうてい)は、織田信長の上京を阻止せんとたてこもったが、向いの箕作城が落城するや夜闇のうちに観音寺城をすて甲賀へおちていった。城跡は、1969~70年(昭和44~45)に発掘され、82年(昭和57)に国の史跡に指定された。(秋田裕毅)」とあります。なお、蒲生郡安土町は現在近江八幡市安土町となっています。また、『滋賀県百科事典』では「観音城」という項目で記述されていますが、「観音寺城」の誤植と思われます。『日本城郭大系 11』では別称「佐々木城」とあります。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.186,
参考資料:
2 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.261-269,
参考資料:
3 定本日本城郭事典 西ケ谷恭弘∥編 秋田書店 2000年 R-5218-ニ,
参考資料:
4 近江城郭探訪 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県文化財保護協会 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
5 滋賀県中世城郭分布調査 4 旧蒲生・神崎郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県教育委員会 1986年 5B-5200-4,
参考資料:
6 図説中世城郭事典 第2巻 村田修三∥編 新人物往来社 1987年 S-5200- 87,
参考資料:
7 近江の山城ベスト50を歩く 中井均∥編 サンライズ出版 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
8 観音寺城跡整備調査報告書 滋賀県教育委員会文化財保護課∥編 滋賀県教育委員会 1971年 5B-5240- 71,
参考資料:
9 近江觀音寺城 吉田勝∥著 日本古城友の会 1978年 5-5240- 78,
参考資料:
10 五個荘町史 第1巻 古代・中世 五個荘町史編さん委員会∥編集 五個荘町役場 1992年 S-2148-1,
参考資料:
11 近江蒲生郡志 巻8 蒲生郡役所∥編 弘文堂書店 1980年 5-2140-8,
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