『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「愛知郡愛東町鯰江にあった佐々木六角氏の一族鯰江氏の居城。鯰江氏は興福寺領鯰江荘の荘官であった家筋で、愛知川右岸の台地上に城をきずき、代々の本拠地とした。この城の古い歴史はあきらかでないが、1568年(永禄11)に織田信長が近江守護職であった佐々木義賢・義治(よしはる)父子を観音寺城にせめたときに、鯰江満介(みつすけ)・貞景(さだかげ)らは義治を鯰江城にむかえて籠城をはかった。しかし1573年(天正元)4月に柴田勝家に政略され、城をひらいた。城跡は石垣や堀が頑丈につくられ、壮大な規模である。(満田良順)」とあります。なお、愛知郡愛東町鯰江は現在東近江市鯰江町になっています。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.541,
参考資料:
2 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.245-246,
参考資料:
3 滋賀県中世城郭分布調査 5 旧愛知・犬上郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県教育委員会 1987年 5B-5200-5,
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