『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「1585年(天正13)豊臣秀次によって築城された山城。北に琵琶湖、南に近江商人の町をひかえ、とおく蒲生郡を一望する標高283.8mの八幡山山頂にある。最頂部に本丸をもうけ、その南東に二の丸、西に三の丸(西の丸)、北に一段ひくく北の丸、南西尾根上に出丸といった諸郭から構成される。八の字形にひろがる東西の尾根にはさまれた南斜面中腹に、居館跡と屋敷跡と思われる郭群が階段状に展開している。山麓の城下町との境にある八幡堀は琵琶湖とむすばれており、防御のみならず領国治政、商業発展に大きな役割をはたした運河でもあった。1594年(文禄3)秀次の失脚と同時に廃城となる。現在本丸跡には豊臣秀次の菩提寺村雲瑞竜寺が建立され、麓の比牟礼八幡宮から山頂までロープウェイを利用できる。(江南 洋)」とあります。なお、所在地は近江八幡市宮内町です。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.572,
参考資料:
2 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.252-253,
参考資料:
3 近江の山城ベスト50を歩く 中井均∥編 サンライズ出版 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
4 近江城郭探訪 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県文化財保護協会 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
5 定本日本城郭事典 西ケ谷恭弘∥編 秋田書店 2000年 R-5218-ニ,
参考資料:
6 滋賀県中世城郭分布調査 4 旧蒲生・神崎郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県教育委員会 1986年 5B-5200-4,
参考資料:
7 近江蒲生郡志 巻8 蒲生郡役所∥編 弘文堂書店 1980年 5-2140-8,
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