『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「高島郡安曇川町大字北船木字輪ノ内の北船木集落に隣接する南北朝期ころの平城。北船木は安曇川が河口付近で北川と南川とにわかれた三角州のなかにあり、古くから湖上交通の要衝として軍事的にも重要な位置をしめていた。現在、城跡には願船寺がたてられているが、水田の空堀跡を入れると約100m四方の方形プランであったことがわかる。船木城は高島七頭(たかしましちがしら)の一員である佐々木能登守師綱によってきずかれたといい、織田信長によって廃城するまで代々佐々木能登守が城主になっていた。(中江 彰)」とあります。なお、高島郡安曇川町大字北船木字輪ノ内は現在高島市安曇川町北船木になっています。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.657-658,
参考資料:
2 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.305-306,
参考資料:
3 滋賀県中世城郭分布調査 8 高島郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1991年 5B-5200-8,
参考資料:
4 高島郡誌 全 高島郡教育会∥編著 饗庭昌威∥増補編 饗庭昌威 1972年 S-2110- 72,
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