『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「『日本書記』天武天皇元年(672)にみえる城。壬申の乱にさいし、近江朝延側は西近江路の守りをかためるためにこの城に籠城、しかし大海人皇子軍に投降した羽田公矢国が出雲臣狛とともに攻め落とした。壬申の乱における大友軍の敗北が、ある意味ではこの落城によって決定的となった。地名や地形条件などから高島郡高島町の三尾崎周辺に、その存在が推定されてきた。1982年(昭和57)三尾崎の西の山中の見張山や高島町音羽から滋賀郡志賀町北小松までのあいだに土塁や石塁、高島町鵜川では水門状の遺構が発見され、書紀に記載された三尾城との関連が注目されている。(高橋誠一)」とあります。なお、高島郡高島町は現在高島市に、滋賀郡志賀町北小松は大津市北小松になっています。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.693,
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