豊中市曽根東町の西琳寺で、五榜の高札の一部が発見されたという記事が産経新聞2000年1月15日にあり。
回答プロセス:朝日新聞・読売新聞記事データベースで「豊中 高札」を検索するが、該当なし。
当館のサイトで公開している「豊中市新聞記事見出し検索」https://www.lib.toyonaka.osaka.jp/sinbun_midashi.html で「高札」を検索すると、産経新聞2000年1月15日の記事「豊中・西琳寺震災復旧工事中床下から明治時代のお触れ書き『五傍の高札』を発見」がヒット。
内容を確認したところ、曽根東町の西琳寺で阪神大震災の復旧工事中に、慶応4(1868)年に出された五傍の高札の一部「五倫札」が発見されたことを報じるものであった。
このほか、『とよなか歴史・文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会)を確認したが、p46に西琳寺の項目はあるものの、高札についての記載はなし。また『新修豊中市史 第2巻 通史2』(豊中市)p5には太政官による「五榜の掲示」が各地に掲げられたとの記載はあるものの、市内の状況にはふれていない。『豊中の史跡たずね描き』(豊中市教育研究所)p65「西琳寺門前の『おかげ燈篭』」および『資料集録 とよなかの史跡・余話』(滝健三)p73-75「西琳寺」にも、高札の発見については記載がなかった。
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