当該道路の名称は、「旧県道上溝立川線」のようである。
回答プロセス:自館OPACにて”サガミソウゴウホキュウショウ”で検索。
『相模原市史 現代図録編』 相模原市総務部総務課市史編さん室 2004 〔K1-21・s22879589〕
P.66 軍都計画と敗戦後の相模原の項あり。
P.67 軍事極秘「集成五万分の一地形図東京第四号」1945(昭和20)年があるが、50%縮小版のため読取不可。
『相模総合補給廠跡地利用構想』 相模原市米軍基地返還促進市民協議会 2004 〔K1-39・s22869093〕
P.16 下部の図を見ると、該当箇所の道路は「旧県道上溝立川線」となっている。
『相模原市と米軍基地』 企画部渉外課/編 相模原市 1989 〔K1-39・s20940151〕
P.26 「昭和24年10月20日 旧県道上溝立川線から北西側約104haが進駐区域に編入される」とあり。
P.80 図と本文に、「旧県道上溝立川線」とある。
相模総合補給廠は、旧陸軍の相模造兵廠であったことから、自館OPAC”サガミゾウヘイショウ”で検索。
『軍都郷土史 補遺編』 涌田佑/著 涌田先生の話を聞く会・相武台公民館 2010 〔K1-39・s23456684〕
P.81 相模造兵廠の設立と展開の項に、用地買収は昭和12年8月に行なわれ、昭和15年9月に追加買収
された、とある。
以上の調査結果の他に、この道路に関する資料があるか確認するため、神奈川県立図書館へレファレンス依頼した。その結果、「旧県道上溝立川線」が最も濃厚ではないか、との回答をいただいた。主な参照資料は下記のとおり。
『基地白書 続』 相模原市企画部 1974 〔K1-39・s05402417〕
P.32に「旧県道上溝立川線等の返還問題」が取り上げられており、「この道路は国鉄横浜線相模原駅と町田
市小山町を結ぶ主要県道であったが、朝鮮戦争が勃発する前年の昭和24年10月に当該道路を含む北西部
約104ヘクタールが接収されたため」との記述あり。
『神奈川県史 資料編12』 神奈川県企画調査部県史編集室/編 神奈川県 1977 〔K0-21・s0607747〕
P.741 「基地内道路(上溝立川線旧県道)」との記述あり。
※〔 〕内は、自館の請求記号・資料コードです。
事前調査事項:・相模原市立博物館にて白図や航空地図を確認したが、県道名は不明。
・土地宝典も確認したが、載っていない。
参考資料:『相模総合補給廠跡地利用構想』 相模原市米軍基地返還促進市民協議会 2004,
参考資料:『相模原市と米軍基地』 企画部渉外課/編 相模原市 1989,
参考資料:『基地白書 続』 相模原市企画部 1974,
照会先:神奈川県立図書館
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