下記資料から、米軍による接収より前に、農地改革や日本陸軍による接収が行なわれていたため、生活が非常に困窮していた様子がわかるが、市民がどのように思っていたかが記載された資料は見つからなかった。
回答プロセス:まず、自館OPACにて ”ベイグン セッシュウ” で検索。
『相模原市史 現代通史編』 相模原市 2011 〔K1-21・s23498629〕
P.141 第2章 連合軍の進駐と占領 第4節 相模原の兵士たち の文中に、次の参考文献あり。
→『郷土相模原 第22号 戦後60周年記念特集号』 相模原郷土懇話会 2006 〔K1-20・s24220329〕
P.17 「終戦の思い出」の文中に、機械器具の接収についての記述があり、「これに関与する関係者は唯々
ひたすらに指示に従うのみ様を傍観し、改めて敗戦国の惨めな思いを」と記されている。
『相模原の基地 特集よみがえるキャンプ淵野辺』 相模原市企画調整局渉外課 1982 〔K1-39・s04215117〕
→市民の気持ちの記述はないが、旧日本軍の施設と接収された場所が地図でわかる。
陸軍士官学校、陸軍士官学校練兵場、陸軍兵器学校、相模原陸軍造兵廠
『星が丘の星は何の星』 西尾顕爾/著 アゴラさがみはら出版 1999 〔K1-21・s16438483〕
P.3、6 陸軍施設のあった場所が、米軍のどういう施設になったかがわかる一覧、地図あり。
・陸軍士官学校 → キャンプ座間
・陸軍士官学校練兵場 → 米軍小銃射撃場
・相模原陸軍造兵廠 → 相模原補給廠
・電信第一連隊 → 米軍相模原住宅地区
・相模原陸軍病院 → 米軍医療センター
・陸軍機甲整備学校 → キャンプ淵野辺
自館OPACにて ”レンペイジョウ”で検索。
『新戸今昔物語』 川﨑喜代治/著 相模経済新聞社 2008 〔K1-21・s23422728〕
P.6 左下に接収後の農家の悲惨な様子が書かれている。
『麻溝台の生い立ち 相模原旧陸軍士官学校練兵場跡地開墾60周年記念誌』
麻溝地区郷土誌編纂委員会 2010 〔K1-21・s23345267〕
P.56~57 「接収により困難な生活を強いられていた」との記述あり。
自館OPACにて ”サガミハラリクグンビョウイン”で検索。
『館報みなみ 第163号(平成19年2~)』 大野南公民館 2007~ 〔K1-37・s23442619〕
→第168号 P.3 相模大野あれこれ⑧ 1.陸軍の軍用地買収について(昭和11年頃)の記事あり。
※〔 〕内は、自館の請求記号・資料コードです。
参考資料:『郷土相模原 第22号 戦後60周年記念特集号』 相模原郷土懇話会 2006,
参考資料:『星が丘の星は何の星』 西尾顕爾/著 アゴラさがみはら出版 1999,
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