下記の資料から、かつて水路(川)であったこと、及び後に埋め立てられたことがわかる。
『相模原市地形図 昭和43年 全28枚』 相模原市 1968 →No.20上溝
『相模原市土地宝典 上溝地区 最新版』 原田正巳/編 土地研究社 1972 →第1図
『ゼンリン住宅地図 相模原市 西部 1973』 日本住宅地図出版 1973年 →図No.18
『ゼンリン住宅地図 相模原市 西部 1974』 日本住宅地図出版 1974年 →図No.18
『ゼンリン住宅地図 相模原市 北部 1980』 日本住宅地図出版 1980年 →図No.124
『ゼンリン住宅地図 相模原市 北部 1983』 ゼンリン 1983年 →図No.124
回答プロセス:まず、自館所蔵の最も古い相模原市地形図を確認した。
『相模原市地形図 昭和43年 全28枚』 相模原市 1968 〔K1-29・s23814031〕
→「光が丘」が見当たらないため、住居表示実施状況を確認すると、「光が丘」は、1970(昭和45)年7月1日
からの住居表示であり、それ以前は大字「上溝」であったことがわかる。
(『相模原市史 現代図録編』 相模原市 2004 〔K1-21・s22879589〕 p.226住居表示実施状況参照)
→そこで、地形図の「No.20上溝」を見ると、該当箇所あり。現在の緑道にあたる箇所には波線の標記がある。
しかし、波線の凡例がなく、ここが何であったかはわからない。
次に、相模原市土地宝典を確認した。
『相模原市土地宝典 上溝地区 最新版』 原田正巳/編 土地研究社 1972 (K1-29大地図・s02449296)
→第1図 該当箇所は「水路」の記号になっている。(昭和47年製図)
そこで、昭和47年以降の該当箇所を『ゼンリン住宅地図』で年代順に確認してみた。
『ゼンリン住宅地図 相模原市 西部 1973』 日本住宅地図出版 1973年 〔k1-29・s01124734〕
→図No.18 D-4 光が丘2-10に波線の標記がある。
J-4~11にかけて、並木1丁目に同様の波線があり、橋が架かっていることがわかる。
→図No.41 I-1~J-2にかけて波線があり、烏山用水にあたるので川であることがわかる。
よって、図No.18の波線も川であると推測される。
『ゼンリン住宅地図 相模原市 西部 1974』 日本住宅地図出版 1974年 〔K1-29・s01180165〕
→図No.18 D-4~E-5 前年よりも川が南北に伸びたようになっており、光が丘2-6と相模原工業技術高校
の敷地との間を流れている。また、この川は、道の下を何らかの管を通ってくぐっているように書
かれている。
『ゼンリン住宅地図 相模原市 北部 1980』 日本住宅地図出版 1980年 〔K1-29・s01180009〕
→図No.124 D-3・4の部分に川は残っているが、E-5からは消えており、川のあった部分が土手に変わって
いる。また、並木1丁目にあった川の標記がなくなっているが、橋が残っていることがわかる。
『ゼンリン住宅地図 相模原市 北部 1983』 ゼンリン 1983年 〔K1-29・s02506277〕
→図No.124の光が丘1丁目・2丁目には川も土手も標記されていない。また、並木1丁目は橋がなくなって
おり、土手の標記がある。
※〔 〕内は、自館の請求記号・資料コードです。
参考資料:『相模原市地形図 昭和43年 全28枚』 相模原市 1968,
参考資料:『相模原市土地宝典 上溝地区 最新版』 原田正巳/編 土地研究社 1972,
参考資料:『ゼンリン住宅地図 相模原市 西部 1973』 日本住宅地図出版 1973年,
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