下記資料より、境川流域の広い地域にあった地名のようである。
『わたしたちの街 古淵』 古淵自治会50周年記念事業実行委員会 2011 〔K1-21・s23504962〕 P.31
回答プロセス:自館OPACにて”イデノサワ”で検索。
『さがみはら石仏夜話』 つちのえ会/編 丸井図書出版 1978 〔K1-38・s22886477〕
→P.45~ 「井出の沢合戦の供養塔」について記述あり。
P.46~47 「井出の沢合戦の場所は、町田市内とされているが、足利方が守る最後の線、境川を目指して
殺到して来た北条軍との合戦が、この辺一帯において行なわれたものと思われる」とあり。
『かながわ史話』 権守桂城/編 昭和書院 1981 〔K0-21・s01751999〕
→P.84 「現在の町田市本町田にも井出の沢と呼ばれる所があり、古戦場の跡を留めているので、戦いは
この地域から市域井出の沢に及んで展開したものと思われる」とあり。
『雑学風来帖 炭屋稼業五十年』 大淵精一/著 丸井図書出版 1982 〔K1-09・s08081945〕
→P.213 「今も古渕地区には旧道跡を見ることができる。この道の傍に綺麗な水の湧き出る井出の沢と
呼ばれるところがあり」とあり、イデノサワは古淵にあった水場であることがわかる。
また、P.215の記述から、横浜線開設の不用土処理のため、埋め立てられたこともわかる。
『わたしたちの街 古淵』 古淵自治会50周年記念事業実行委員会 2011 〔K1-21・s23504962〕
→P.31 「このいでのさわの地は、古淵の外に、町田市本町田にあります。いずれにしても、いでのさわは
鎌倉街道の要衝の地であって、境川流域の広い地域を言ったのではないでしょうか」との記述あり。
また、写真中の看板の解説に、「『井出の沢』とは、お堂の西側をながれていた小沢のことです」の記述あり。
参考資料:『わたしたちの街 古淵』 古淵自治会50周年記念事業実行委員会 2011,
参考資料:『さがみはら石仏夜話』 つちのえ会/編 丸井図書出版 1978,
参考資料:『かながわ史話』 権守桂城/編 昭和書院 1981,
参考資料:『雑学風来帖 炭屋稼業五十年』 大淵精一/著 丸井図書出版 1982,
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