日本郵船については、以下の資料に明治18年9月創立から昭和61年3月までの役員(氏名、就任年月日、退任年月日)と主管者(課名、課長名、就/退任年月日、支配人名、部・室名、部・室長名、支店長名、任期等)について記載があった。集合写真は見つからなかった。
『日本郵船百年史資料』(日本経営研究所編 日本郵船 1988)
p78-102(含折込図) 明治18年9月創立から昭和61年3月までの歴代の役員の記載あり。
p810-845 歴代主管者の人事 本店、支店、出張所等あり。
また、横浜船渠、高砂鉄工所、大和印刷の職員名簿と集合写真については、資料やインターネット等で調査したが、名簿と写真について記載のある資料は見つからなかった。
社史の発行、所蔵情報等について調べる場合に有効な、下記のサイトを紹介した。
《国会図書館リサーチナビ》(http://rnavi.ndl.go.jp/rnavi/ 国立国会図書館 2012/2/2確認)〈社史〉で検索→会社情報の調べ方→社史・経済団体史
回答プロセス:横浜船渠(よこはませんきょ)
日本郵船の子会社だったということで日本郵船関係の社史を調査。
『海に陸にそして宇宙へ 三菱重工業社史1964-1989 資料編』(三菱重工業株式会社社史編さん委員会編集 三菱重工業 1990)
p24 昭和10年11月に日本郵船の子会社の横浜船渠を合併。
p915-933横浜製作所 第一節三重工合併までの沿革1横浜船渠会社の誕生
高砂鉄工所
『高砂熱学50年の歩み』(高砂熱学工業株式会社社史編集委員会編 高砂熱学工業 1973)
p369 年表あり。
沿革:大正5年 高砂工業設立、大正7年 斎藤大崎工場(大正2年設立)を改組、高砂鉄工所を設立。
大正8年 高砂工業、高砂鉄工所を合併。
「高砂鉄工所」は7年-8年の間のみ。p4-p7に合併についての記述あり。
巻末に役員在職一覧あり(大正12年-昭和48年)
大和印刷
以下の資料に「大和印刷」の記述あり。
『東京の印刷組合百年史』(印刷組合百年史刊行委員会編 1991)
p219 大正15年2月 印刷組合代議員選挙 京橋区に「大和印刷」あり。
『近代日本の出版印刷業 1 日本印刷大観』(ゆまに書房 2010)
p312 大震災と組合員の損害 「大和印刷」損害額:150,000円 火災保険加入額:98,000円 震災前職工数:41人
p331 代議員当選者「大和印刷」あり。
その他調査済資料
『二引の旗のもとに 日本郵船百年の歩み』(1986)
『日本郵船社史 創立100周年からの20年』(日本郵船株式会社社史編纂室編集・制作 日本郵船 2007)
『日本郵船百年史』(日本経営史研究所編 東京 1988)
明治-昭和20年読売新聞データベース
事前調査事項:質問者提供情報
高砂鉄工所は品川区にあった高砂熱工学の前身、大和印刷は東京の京橋にあったそうだ。
参考資料:『日本郵船百年史資料』(日本経営研究所編 日本郵船 1988),
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