『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「坂田郡米原町番場に所在する浄土宗の寺院で、山号は八葉山。615年(推古23)の開基で法隆寺といった。当時法相宗であったが1309年(延慶2)時宗にあらため、さらに1942年(昭和17)浄土宗にあらためた。本尊阿弥陀如来、釈迦如来。中古法相宗憲宗(けんしゅう)が寺院を整備したが雷火で全焼、その後草堂のみとなったが、時宗の僧一向が布教の途この草堂にたちより、地頭土肥三郎(どひさぶろう)を教化、土肥氏は一向上人をたすけ梵鐘(ぼんしょう)(重要文化財)をつくり寺を再興して、時宗一向派の本山とした。1333年(元弘3・正慶2)六波羅探題(ろくはらたんだい)官軍におわれた北条仲時以下432人がこの地で自刃、過去帳(重要文化財)の人となる。その墳墓がある。1470年(文明2)戦火により再度焼失、宝物を多数うしなう。1600年(慶長5)徳川家康が宿し禁制を下す、後水尾(ごみずのお)天皇寺額下賜(じがくかし)などが記録にある。宝物に絹本一向上人像(県文化財)、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、仏像など多数ある。また、境内に斎藤茂吉の歌碑、長谷川伸の著作『瞼(まぶた)の母』忠太郎の碑もある。(籔田藤太郎)」とあります。なお、坂田郡米原町番場は現在米原市番場になっています。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.764,
参考資料:
2 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.516-517,
参考資料:
3 近江・若狭 小学館 1991年 S-1800- 91,
参考資料:
4 図説近江古寺紀行 木村至宏∥著 河出書房新社 1995年 5-1800- 95,
参考資料:
5 湖国百選 社寺 滋賀総合研究所∥編集 滋賀県 1993年 S-1600- 93 p.86,
参考資料:
6 社寺要覧 三宅辨造∥編 滋賀県 1923年 S-1600- 23,
参考資料:
7 日本社寺大観 寺院篇 藤本 弘三郎∥編 名著刊行会 1970年 R-1859-フ,
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