『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「高島郡今津町大字北仰(きとげ)にあり、旧川上荘22村の氏神で、角郷の総社地主神である。角郷は角氏の領知した土地であり、のちに分割して角野(つぬ)、河上(かわかみ)の2郷としたが、治暦年間(1065~69)に2郷をあわせて川上荘とした。したがって本社は川上荘の氏神である。式内社の津野神社はこの社といわれる。祭神は紀角宿禰命(きのつのすくねのみこと)、武内大臣(たけのうちのおおおみ)をまつる。江戸時代までは角大明神と称した。社伝では、景行天皇が志賀の穴穂宮に行幸され、武内大臣が志賀の仰木(おおぎ)にいたとき、西淡海に屯田をたまわった。その地を北仰木と称した。第5子紀角宿禰は周防の角国とこの角野郷を領し、この地で死去したので遺体を角山に葬ったといわれる。社殿は1572年(元亀3)8月織田信澄のために焼かれ、このとき宝物記録を焼失し、社領60石も没収された。1585年(天正13)浅野長政が領主になると、社地4町歩を除地とし、江戸時代も引き続き除地となった。1698年(元禄11)から堅田藩領になると藩主堀田氏の崇敬をうけ毎年供物を献ぜられた。堀田氏は角宿禰の子孫といわれる。社殿は1704年(宝永元)9月に再建された。建物は本殿、拝殿、神楽所がある。末社には田部神社(田部大明神ともいう、祭神大国主命)、稲荷社、厳島神社(祭神市杵島姫命、竹生島の神霊をまつる)、北野社の4社あり、祭礼は「川上祭」といい、1571年(元亀2)の『御供日記』にくわしく書かれているが、今は日置神社と一年交替で毎年4月18日に行われる。(河原喜久男)」とあります。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.503,
参考資料:
2 式内社の研究 第7巻 志賀剛∥著 雄山閣 1984年 S-1700- 84,
参考資料:
3 神社由緒記 三宅辨造∥編 滋賀縣内務部教育課 1921年 5-1700- 21,
参考資料:
4 滋賀県神社誌 滋賀県神社庁∥編 滋賀県神社誌編纂委員会 1987年 S-1700- 87 p.585-586,
参考資料:
5 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.332,
参考資料:
6 式内社調査報告 12 式内社研究会∥編 皇学館大学出版部 1981年 S-1700- 81,
参考資料:
7 神社名鑑 神社本庁調査部 神社本庁 1963年 R-1759-シ,
参考資料:
8 全国神社名鑑 下 三浦譲∥編 全国神社名鑑刊行会史学センタ- 1977年 RB-1703-ミ,
参考資料:
9 日本社寺大観 神社篇 藤本 弘三郎∥編 名著刊行会 1970年 R-1759-フ,
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