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江戸時代の大坂周辺、主に、淀川や大和川河口や現在の大阪湾周辺の新田がどのように形成されたかについて、誰が、どのように(干拓とか埋立とかの造成方法)造成したのかが分かる資料を探している。 『新修大阪市史』には造成方法が書かれていない。また、大和川の付け替えで成立した大阪東部の鴻池新田の造成方法は調査済。

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大坂の川口新田については、 『人づくり風土記 27(49) 大阪の歴史力』(会田雄次/監修 農山漁村文化協会 2000.3)p.53-60「大規模におこなわれた干拓と河川流域の治水と新田開発」に書かれており、泉尾新田を例とした工法がp.59にある。 近世の新田開発技術は、『新田開発』(菊地利夫/著 古今書院 1977 )p.35-40に関東流・紀州流を中心に書かれているが、大坂の具体的な新田名はこの中には挙がっていない。技術者の名前は「紀州流の最高の技術者である井沢弥惣兵衛が和歌山藩にいたころ、その部下として土木技術をうけもっていた大畑才蔵は上方流の代表者であった。」とある。 また、p.42-46「新田開発の労働力」で、開発労働者がどのように集められたかが書かれている。 他に、技術については書かれていないが、参考までに紹介した資料は次のとおり。 『新修大阪市史』第10巻(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1996 )の別冊付録『歴史地図解説』p.26に「川口新田一覧表」があり、村名、開発年次、検地年次、石高、開発者・その他が一覧できる。 『大阪の歴史』13(大阪市史編纂所 大阪市史料調査会 1984)p.69-110「[史料紹介]加賀屋新田文書」 加賀屋新田文書の概略と翻刻。この中の「桜井家濫觴之事」には、加賀屋新田の開発者加賀屋甚兵衛家の略歴と新田開発の過程が記されている。

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