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豊臣秀吉の造った聚楽第は現在どうなっているか

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①『豊臣秀吉と京都』(日本史研究会編/文理閣/2001.12)p120に「文禄四年(1595)、秀次失脚の後、秀吉の命に  よって破却された。」との記述あり。  ②『国史大辞典 7』(吉川弘文館/1986.11)p404に「叙落第(じゅらくてい)」に「・・・秀吉は、文禄四年(1595)七月  に至って、秀次を追放、自刃させ、その直後に、聚楽第と諸大名屋敷をすべて取り払い、伏見へ引き移させてし  まった。」との記述により現存はしていない。 さらに、 ③『NHK国宝への旅 11』(日本放送出版協会/1988.7)p66、『国史大辞典7』(吉川弘文館/1986.11)p404の「叙  落第(じゅらくてい)」などで西本願寺の飛雲閣や大徳寺唐門に移築されたという伝承があるが、解体修理の結  果疑問視されるようになった旨の記述あり。  ④『豊臣秀吉事典』(杉山博〔ほか〕編/新人物往来社/1990.9)p166~171の「聚楽第」にも記述あり、p167に「文禄  四年(1595)秀吉は秀次を高野山において自害させ、聚楽第も破却させてしまった。燈心文庫所蔵「豊臣氏奉  行人連署書状」によると、この破却に際していくつかの建物が伏見城へ移築されている。ここに桃山文化を代表  する聚楽第もわずか十年でその姿を消してしまったのである。」との記述あり。

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