『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月十四日・十五日午後七時から」で、概要は「もとは伊室神社の豊作祈願の祭り。馬見岡綿向神社のもと宮司であった出雲家が、南北朝時代に足利将軍によって改易させられたことにより、応永(一三九五~一四二七)年中以降は出雲家の御霊祭が加わり、現在の姿になった。神子三人と約二百本の松明が五社神社から雲雀野まで行列し、そこで松明を松の木に投げ上げ、作物の吉凶を占う。」とあります。
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